大磯宿は、明治以降に多くの著名人が住居や別荘を構えていました。
伊藤博文
大隈重信
吉田茂
安田財閥の創始者、安田善次郎
日本橋のたもとにあった榮太樓の主人、細田安兵衛
政治家や財界人ばかりではなく、芸術家の自邸もありました。たとえば安田靫彦。
なんだか受刑者の写真みたいになってますが、気にしないでください。
大磯は明治中頃から多くの政治家や財界人などの著名人が住むようになったのですが、彼らの家は海沿いと山手におおきく分かれて建てられました。
安田靫彦の家は山手にあったそうです。
日本画の大家で「飛鳥の春の額田王」を描いた安田靫彦は、大正14年(1925)から大磯に住み、昭和53年(1978)に大磯の居宅で没しました。
お墓は大磯の大運寺にあります。
誰もが一度は見たことがある「飛鳥の春の額田王」。滋賀県立美術館が所蔵しています。
→滋賀県立美術館のページ
また、東海道に関わる絵としては「黄瀬川陣」があります。
この先東海道を歩いて行くと、黄瀬川のほとりに源頼朝・義経兄弟の対面の地と伝わる場所があるのですが、その対面の様子を描いたものです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典】
「近世名士写真」
「安田善次郎伝」
「帝国菓業家列伝」
「現在名書家写真鑑」
「数寄屋建築」
以上は「国立国会図書館デジタルコレクション」より
webサイト「近代日本人の肖像」
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日 国府津~小田原宿
12月28日 小田原宿~箱根湯本
1月25日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府開催日
10月5~6日 磐田~高塚(受付終了)
11月2~3日 高塚~二川宿(受付終了)
12月7~8日 二川宿~国府
参加費 各回5500円 - 京都まであるく東海道 第9期 国府~熱田宿開催日
2025年
1月12~13日 国府~岡崎宿
2月1~2日 岡崎宿~前後
3月1~2日 前後~熱田宿
参加費 各回6000円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
1月18日 日本橋~品川宿
2月15日 品川宿~蒲田
3月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
最新のブログ記事
- 宮代屋事件 明治初期の大磯で起きた大事件明治前期の日本を襲った大不況の中で、大磯宿では凄惨な事件が起こっています。東海道沿いに説明板などは設置されていませんが、事件を伝える碑があります。
- 茶屋の薬師堂 夜に歩く石地蔵の謎相模国二宮の川匂神社、その参道は東海道から始まっています。参道入口にある薬師堂には、夜になると地蔵が歩くという伝説があるのです。信じますか?
- 吾妻神社 なぜ二宮町にヤマトタケルの伝説があるのか?二宮町に入った東海道を歩いていると、吾妻神社の鳥居があります。ここが参道入口で、吾妻山を登ったところに神社があります。ヤマトタケルの妻を祀ったこの神社、その由緒とは?
- 等覚院 「藤巻寺」と呼ばれる二宮町の真言宗寺院二宮町にある等覚院は「藤巻寺」の異名のあるお寺です。徳川家光や仁和寺宮も鑑賞した藤とは、どのような花なのでしょうか。
- 国府本郷の一里塚跡 大磯の西にもあった一里塚の跡東海道には一里塚が設置されていました。大磯宿の西にもありました。一里塚の説明板が設置してあります。でも本当に一里塚があったのはここではなくて・・・
- 大磯切通し 戦国武将はなぜ大磯に陣を布くのか?東海道大磯宿から西へと歩いて行くと、道が切通しを通ります。江戸時代前期にはすでにあった切通し。この切通しのおかげで大磯は戦国時代の重要地になりました。
- 鴫立庵 西行ゆかりの大磯宿最大の観光名所江戸時代初期に成り立った鴫立庵は、江戸時代の東海道大磯宿で最大の観光スポットでした。現在も年間1万人もの人が訪れる鴫立庵を簡単に紹介します。
- 海水浴発祥の地 混浴禁止?! 医療行為?! 大磯の初めて物語日本最初の海水浴場が開かれたのが、かつて東海道の宿場として賑わっていた大磯でした。でも、当初の海水浴はいまとはだいぶ様子が違っていたようです。
- 榮太樓の別荘 日本橋の老舗が大磯宿に築いた別荘日本橋の南詰にある和菓子の老舗榮太樓総本舗。この店の主人の別荘が大磯宿にあったのです。今も残るその遺構とは?
- 東海道五十七次(3) 江戸幕府が京街道を管理下においたのはなぜ?もともとは江戸と京都とを結んでいた東海道が、後には豊臣秀吉が整備した京街道と接続され、東海道が五十七次となりました。この大阪までの道を、江戸幕府が管理しようとした理由は何だったんでしょう?