NHKの人気番組「ブラタモリ」で令和6年11月2日~4日にかけて東海道の旅を特集して放送しました。

ただしタイトルは「東海道五十七次の旅」。

東海道五十七次というと江戸から大坂に向かう東海道を指しますが、番組で取り上げたのは大津の西、逢坂山の麓にある髭茶屋追分(大津追分、山科追分)から大阪までした。

髭茶屋追分
大阪 高麗橋

「ブラタモリ」で東海道を取り上げてくれたのは、良かったと思います。
これで東海道に興味を持ってくれる人が増えてくれることを希望しておりますし、さらには実際に東海道を歩いてみようと考える人が出てくれることについては、もっともっと希望しております。

ただ、番組では追分と大阪、その間にある4つの宿場を訪れただけでした。
「ここが東海道です」と言われて、タモリさんが「そうなんですね!」という場面が何度も出てきましたが、ここからも東海道を歩いていないことが明らかです。

普通は旅行といえば、乗り物に乗って目的地を訪れることです。
制作スタッフのみなさまもその認識で番組を作ったでしょうし、ご覧になった方々も番組を面白いと思いこそすれ、違和感を持つことはおそらくなかったものと思います。

しかし東海道を歩く旅というのは、旅の移動手段が「乗り物」から「歩き」に、ただ変わったということではないのです。

「歩く」こと自体が、旅の目的でもあるのです。

東海道を歩いているところ
当舎開催のイベント「京都まであるく東海道」より

 

なぜならば500キロもの東海道を歩くことは、まずは挑戦であること、そして終わったときに達成感が得られること、さらにもっとも大切なことは、歩くことで多くの知見を得ることができるからなのです。

歩くことによって、多くのものを見て、聞いて、経験します。
それらの数は、乗り物に乗って移動する場合の数十倍、いや数百倍や数千倍になるかもしれません。

特に東海道について言えば、ここは日本最古の幹線道路なのです。
飛鳥時代にはすでにあった道で、現在まで連綿と存続している道です。
現在にいたるまでに多くの人が通り、物も文化もここを移動し、そしてたくさんの事件が起こった道でもあるのです。

ですから東海道に今あるものや過去に起こったこと、これらのことを知っているのと知らないで終わるのとでは、大きな差が生じます。
「人生で得をするか損をするか」といっても過言ではありません。

せっかく人気番組の「ブラタモリ」で取り上げたのですから、できれば宿場以外の場所も本当に歩いてほしかったですし、それが無理なら車で次のロケ地まで忠実に東海道上を走って移動してほしかったですし、少なくとも歩いたふりくらいはしてほしかったです。

東海道を歩いているところ
当舎開催のイベント「京都まであるく東海道」より

 

その機会があるかどうかは分かりませんが、今後「ブラタモリ」で東海道を取り上げることがありましたら、実際に歩いて、その素晴らしさについて放送で伝えていただきたいと思います。

そして番組をご覧になったみなさん、是非東海道を歩くことに挑戦してみてください。
その経験は、きっと人生における最高の財産になるはずです。

→東海道五十七次(1)五十三次ならぬ五十七次とは、いったい何?
→東海道五十七次(2)大阪へと向かう東海道の「つづき」の成立ち
→東海道五十七次(3)江戸幕府が京街道を管理下においたのはなぜ?

  

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

東海道歩き旅イベント 参加者募集中

それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。

「日帰りで歩く東海道」  日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」  原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。

以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。

一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験を得る、そのお手伝いをいたします。

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