江戸時代の前期の話です。
西行に憧れた小田原出身の橋本崇雪が、寛文4年に大磯を訪れ、小さな沢のほとりに「鴫立沢」の碑を建てました。
「心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」
新古今集に収録されている西行のこの歌から、大磯宿の東海道を横切る沢の横にこの碑を建てたのです。
そして碑の横に庵を建て、ここに住みました。
この庵が後の鴫立庵です。
ちなみに崇雪は小田原の薬商宇野家の出身です。
現在では薬店と和菓子店を営むういろうのことです。
その30年後、荒れ果てていた鴫立庵に江戸の俳人大淀三千風が住み着きました。三千風は庵を建て直し、ここを俳諧道場としました。
元禄8年(1695)年のことです。
それが現在の鴫立庵だといわれています。
東海道名所図会にも鴫立庵が挿絵付きので載っており、江戸時代の大磯宿における最大の観光名所だったことがわかります。
鴫立庵の管理をしている人たちによると、修繕に修繕を繰り返して現在も建っている建物ですので、江戸時代の部材は一部しか残っていないそうですが、古くから残っている建物はみんな修繕をしているから今見ることができるのです。
鴫立庵の古い写真がありますが、今とほぼ同じ形を保っています。
入場料310円(大磯町民は110円)で入ることができます。
内部には崇雪が京都から運んで来たと伝わる五智如来のほか、大淀三千風が西行像を京都から運んで来て安置した円位堂(西行堂)、吉原の遊女たちが寄進したと伝わる虎御前の像を納める法虎堂、各時代の庵主の句碑などがあります。
虎御前は曽我十郎の恋人と伝わる女性で、鎌倉時代の大磯の遊女だったとも伝わっています。
大磯に海水浴場を開いた松本順は、先だった妻と子供2人の遺骨を鴫立庵に埋葬し、墓を建てています。
自身も後にここに埋葬されました。
ただし昭和27年に松本順と家族の遺骨は、大磯駅近くの妙大寺に改葬されました。
第二次大戦後、鴫立庵はたいへん荒廃していたそうです。
それを復興させたのが第18代庵主の鈴木芳如、本職は虎ノ門の文具・事務用品店のオカモトヤの社長でした。
現在も俳諧道場として使われている鴫立庵。
三大俳諧道場の1つと言われています。
ちなみにのこりの2つは大津の無明庵と京都の落柿舎。
三大俳諧道場のうち2つは大磯と大津の東海道沿いにあるのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典】
国立国会図書館デジタルコレクション
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