東海道五十三次のひとつ、大磯宿から西へ進むと約1.6キロのところに切通しがあります。
この大磯切通しは、山側から海へと飛び出している丘陵を切り通して道にしたものです。
江戸時代前期である元禄3年(1690)に発行された「東海道分間絵図」にも「切どおし」と書かれており、いつからあるのかまではわかりませんが、かなり古い時代に築かれた切通しと考えられます。
ところで戦国時代、大磯には神奈川を目指す伊勢宗瑞(いわゆる北条早雲)や小田原を攻める上杉謙信が布陣しています。
その場所は高麗山です。
彼らが大磯に陣を敷いたのは、実はこの切通しと関わりがあるのです。
大磯は南北を海と山に挟まれた狭い地域にある町です。
一方で東西を見ると、東に花水川、西では北の山から連なる丘陵が南に延びて海に達しています。
海と山に挟まれた狭い地形のところに、山から伸びた丘陵があるために通行が阻害されています。
そこで築かれたのが切通しです。
つまり切通しがなければ、大磯を通って東へも西へも行くことが困難になるのです。
普通だったら通行は便利なのに越したことはありません。
でも、通行が困難なことが望ましい場合があります。
戦 争 で す。
敵の軍勢の通行を制御できれば、戦争を有利に導くことができます。
そこで大磯に陣を張り切通しを封鎖する、さらには花水川の渡し口、あるいは橋を封鎖すれば、古来からつづく大幹線道路である東海道を敵軍は通ることができなくなり、戦争を有利に展開することができるようになるのです。
そのため大磯は戦時には重要地として、武将たちが陣を張ったのです。
江戸時代の旅人たちが通ったことを連想しがちな東海道ですが、飛鳥時代以来の長い歴史があります。
戦国時代の軍用道路という側面もあるのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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