菟足神社のすぐ近く、現在ニチレイの工場がある場所に、小さな川とそこに架かる橋があります。
この橋の名前が「子だが橋」。
橋の上には碑と伝説に関する説明板があります。
菟足神社には、はるかな昔に人身御供の風習があったという伝説があります。
豊作を祈って4月に催される「風祭り」という祭礼に、女性の旅人を生贄として供えていたのだそうです。
生贄にする女性はどうやって選ばれるかというと、祭礼の日に子だが橋を最初に渡った女性(江戸時代の地誌に「児女」と書いてあるので、若い女性限定だったと思われます)を村人たちが捕らえ、神への生贄としたのだそうです。
ところがある年、生贄狩り担当の村人が最初に子だが橋を渡った若い女性を捕らえたところ、なんと奉公先から祭り見物のために戻ってきた自分の娘だったのです。
「子だが仕方ない」として泣く泣く娘を生贄にしたのが橋の名の由来、というのが子だが橋の伝説です。
菟足神社には生贄の風習があったことが「今昔物語集」「宇治拾遺物語」に出てきます。
いずれも風祭りのときにイノシシを生贄として生きたまま解体していたというものです。
両書ともに人身御供についての記述はありません。
実は「今昔物語集」と「宇治拾遺物語」には、菟足神社のことは出てこないのです。
ただ「三河国の風祭」でイノシシを生贄としていたと記されているだけです。
だから農耕の祭りである風祭りだけは、神社創建よりも前から催されていた可能性もあります。
次に菟足神社の生贄について記述のあるのが、江戸時代に編纂された地誌です。
下地の商家の主人がまとめた「三河国吉田名蹤綜録」、吉田藩校時習館の教授が記した「参河吉田領風俗」、岡崎藩の儒学者が著した「山家樵談」に、「菟足神社の風祭りのとき雀12羽を生贄にする。往古はイノシシを供えていた」という内容の記述があります。
やはり江戸時代の寛政9年(1797)に刊行された「東海道名所図会」にも「祭で雀12羽を射取る」としか載っていません。
これらの書物からすると、江戸時代にはすでに生贄は雀です。
そもそも「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」は、その記述者が自ら見聞したことがらではなく噂話や伝聞を書いたものと考えられますので、イノシシの生贄がどこまで本当なのかはわからないところがあります。
しかし、上記の地誌は同時代の地元の人たちが記したものですので、当時すでに雀が生贄だったのは確実性が高いといえるでしょう。
次に人身御供とする女性を捕らえた場所ですが、江戸時代後期の文化3年(1806)に編纂された東海道の絵図「東海道分間延絵図」には子だが橋は載っていません。
子だが橋がある場所には「小田石橋」という橋が描かれています。
江戸時代の地誌のうち「参河吉田領風俗」「三河国吉田名蹤綜録」には人身御供の伝承についても言及しており、女性を捕らえた場所を「小田ヶ橋」と記述しています。
一方で「山家樵談」には人身御供を捕らえた場所についての記述はありません。
昭和51年(1976)に発行された「小坂井町誌」に子だが橋の伝説について項が設けてあり、そこには西江川(現豊川放水路)に架かっていた高橋に対して、近くの走川(西江川の支流)の橋を「小高橋」と呼んだ説を記しています。
これらから「子だが橋」という呼称は、江戸時代よりも後に成立した可能性があります。
ところで「参河吉田領風俗」には「人身御供はどこにでも伝わっている俗説で信用できない」と書かれており、子だが橋の人身御供伝説について真実性を退けています。
飢饉や疫病などで現在よりももっと死が身近だった江戸時代でも、知識人たちは人身御供の伝承を信じていなかったのです。
さらに「小坂井町誌」には子だが橋の伝説の後日譚が載っています。
人身御供の若い女性を食べていた神は本当は大猿で、武士が連れてきた犬に退治されてしまったというのです。
う~ん、どこかで聞いた話・・・
まさに「どこにでも伝わっている話」です。
おそらく子だが橋の伝説は平安時代から江戸時代にいたるまでのどこかの時代に、「小田ヶ橋」「小高橋」などと呼ばれていた橋の名前から、誰かが創作したものなのでしょう。
東海道を歩いていると、子だが橋の碑と説明板が目に入ってきます。
でも、菟足神社で人身御供の伝説が本当にあったなんて、軽々に信じちゃいけません。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府東海道歩き旅第7シリーズ
(2023年10月日本橋スタート)
開催日時
2026年
4月25~26日 磐田~高塚【受付終了】
5月23~24日 高塚~二川宿【受付終了】
9月19~20日 二川宿~国府
参加費 各回5500円
月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅 - めざせ大阪! 京街道をゆく 第2回 淀宿~枚方宿開催日時
2026年9月22日~23日
参加費 7000円
大津で京都へ向かう東海道から分かれて、大阪へと向かう京街道を歩く2回目。国宝の石清水八幡宮、重要文化財の片埜神社、かつての遊廓など、多くの見どころにあふれる道を歩きます。 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根東海道歩き旅第11シリーズ
(2025年10月日本橋スタート)
開催日時
2026年
10月3日 国府津~小田原宿
11月7日 小田原宿~箱根湯本
12月5日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円
月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦東海道歩き旅第15シリーズ
(2026年10月日本橋スタート)
開催日時
2026年
10月4日 日本橋~品川宿
11月8日 品川宿~蒲田
12月6日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
月に1回、平日に日帰りで東海道五十三次を歩くイベント。日本橋を新規スタート。 - 日帰りであるく東海道Light 第3期 生麦~藤沢宿東海道歩き旅第12シリーズ
(2025年11月日本橋スタート)
開催日時
2026年
5月13日 生麦~保土ケ谷宿【受付終了】
10月7日 保土ケ谷宿~戸塚宿
11月4日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円
月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦東海道歩き旅第14シリーズ
(2026年5月日本橋スタート)
開催日時
2026年
5月14日 日本橋~品川宿【受付終了】
6月11日 品川宿~蒲田【受付終了】
10月8日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
月に1回、平日に日帰りで東海道五十三次を歩くイベント。日本橋を新規スタート。
最新のブログ記事
- 桃里 不本意ながら改称した新田東海道の原宿から元吉原の間には10箇所の新田がありました。それらの新田の地名は今も使われているのですが、1箇所だけ地名が変更された新田があります。
- 山ノ神古墳・庚申塚古墳 「命塚」と呼ばれた古墳原宿から元吉原にかけての東海道の北側は、昭和40年ころまで湿地帯でした。その湿地だった場所に2つの古墳があります。命塚と呼ばれています。
- 摺鉢の松 原宿松蔭寺にある白隠禅師の逸話臨済宗中興の祖といわれている原宿の白隠禅師は、たくさんの逸話のある人です。もっとも有名なものは高価な摺鉢を松の幹にかぶせた「摺鉢の松」でしょう。原宿に松の木を訪ねました。
- 江戸の次は箱根?! 松尾芭蕉、東海道をゆく2松尾芭蕉の最初の紀行文「野ざらし紀行」。江戸を発った様子を記した後、記述は突然箱根に飛びます。そこで芭蕉が見たものとは? 詠んだ句とは?
- 池田恒興の首塚?! 東海道新居宿の池田神社小牧長久手合戦で戦死した武将池田恒興の首塚と呼ばれている場所が、東海道の新居宿にあります。ところが首塚と呼ばれる経緯にはちょっと不可解な点が。ここは本当に首塚?

















