天保14年(1843)ころの調査結果をまとめた「東海道宿村大概帳」から引用した保土ケ谷宿のデータです。
人口 2928人(男1374人 女1554人)
戸数 558軒
本陣 保土ケ谷元町1軒
脇本陣 保土ケ谷元町2軒、保土ケ谷町1軒
旅籠屋 合計67軒 大7軒 中24軒 小36軒
問屋場 神戸町に1か所
高札場 神戸町地内に1か所
道幅 4間~4間半
歌川広重は「程ヶ谷宿」として題していますが、これは保土ケ谷宿のことです。
描かれている場所は、保土ケ谷宿の中を流れている帷子川にかかる帷子橋です。
浮世絵には「新町橋(新甼橋)」と書いていますが、これは後述のとおり帷子橋のことなのです。
保土ケ谷宿は江戸幕府による東海道宿場制が成立した慶長6年(1601)に宿場に指定されました。
もともと東海道と初期の保土ケ谷宿は、桜ヶ丘と呼ばれる高台の上の道にあったようです。
交通の便を優先し、3代将軍徳川家光のころ、寛永から慶安の時代ころに今井川沿いの谷間の平坦な場所に移されたと考えられています。
移転前の保土ケ谷宿を古町、移転後の保土ケ谷宿のことを新町という呼び方をします。
そのため、帷子川に架かる橋のうち、宿場移転後の東海道に架かっていた帷子橋を、別名新町橋と呼ぶのです。これに対して帷子川の少し上流には、以前の東海道が通っている古町橋があります。
ただし帷子川の河川改修によって、帷子橋(新町橋)も古町橋も位置が移動しています。
保土ケ谷宿は、宿場の東の入口付近から八王子道が分かれていました。
八王子は絹の産地です。
横浜開港以降の日本では、絹は外貨を獲得するもっとも主要な輸出品でした。
そのため八王子から八王子道(後の国道16号)を通って絹は保土ケ谷まで運ばれてきたのです。
保土ケ谷に運ばれてきた絹は、いったん東海道を神奈川宿方面に向かい、横浜開港に合わせて開かれた横浜道を通って横浜に運ばれました。
横浜道ができる前は保土ケ谷宿の金沢横町から山越えで横浜の本牧へと向かう道がありました。
現在も金沢横町には道標が4基置かれています。
保土ケ谷宿は八王子道以外にも、弘明寺、杉田、本牧、金沢などへと向かう道が分かれていた交通の要衝だったのです。
保土ケ谷宿の東の入口、江戸方見附は現在の洪福寺松原商店街の中にありました。
現在の国道16号と東海道とが交差する松原商店街入口交差点から、約80メートル南です。
江戸時代にはこの道の両側に土居が設けられていました。
跡地には駐車場前に看板で表示が出ています。
保土ケ谷宿はこの江戸方見附から始まり、本陣前で逆L字型に曲がり、今井川沿いにある上方見附までつづいていました。
保土ケ谷宿の道を直進し、帷子川に架かる帷子橋を渡り、相鉄本線の天王町駅の前で高架の下をくぐると、そこが歌川広重の浮世絵に描かれていた旧帷子橋の跡です。
先にも書きましたが帷子川の河川改修によって橋の位置が移動しましたので、浮世絵に描かれていた橋は消滅し、現在は駅前広場にて橋の欄干の形をしたオブジェがあるだけです。
そのまま進んでJR保土ケ谷駅前をとおりすぎ、JRの踏切を渡ると、正面に赤い屋根の建物が見えてきます。
ここが保土ケ谷宿の本陣だった場所です。
保土ケ谷宿の本陣は、代々苅部家が務めていました。
幕末の当主だった苅部悦甫は非常に有能な人物で、今井川の付け替え工事を行って宿場を川の氾濫から守り、さらにその土を品川に運んで台場建設の用土としました。
幕府からも登用され、横浜に新しくできた日本人の町の総年寄り(町長のようなもの)を命じられ、一族や保土ケ谷の商家とともに横浜に移住しています。
本陣苅部家は明治元年’(1868)の明治天皇東幸をはじめとして、天王、皇后、皇族が明治半ばにかけてたびたび立ち寄り休息しました。
明治天皇の休息のとき、苅部の姓を誤って「軽部」と表記したことがきっかけとなって、苅部家は姓を軽部に改めたといわれています。
現在も江戸時代に本陣があった場所に本陣軽部家の人々は住んでいます。
この旧本陣軽部家には、「本陣の門」と呼ばれる門が残っています。
これは江戸時代に建てられたと推定される本陣家の家屋を解体した木材で、昭和初期に建てられた門で、もともとは軽部家の裏門として使われていたそうです。
たしかに江戸時代の本陣の門としては、東海道で現存している本陣の門と比べても小ぶりです。
門の背後の木造の建物は、大正14年(1925)に建てられたものです。
それ以前は玄関や書院を備えた江戸時代の本陣の家屋が残っていたのですが、大正12年の関東大震災で倒壊してしまいました。
保土ケ谷宿は途中でほぼ直角に道が曲がっています。
日本橋側から見て、まず北から南に一直線の道があり、本陣の前で直角に折れ、東から西へと向かうのです。
この曲がり角から西へと向かって、道の両側に脇本陣が合計3軒ありました。
手前から東海道の南側に藤屋脇本陣、北側に大金子屋脇本陣、そして最後に南側に水屋脇本陣がありました。
藤屋脇本陣と本金子脇本陣の跡地にはマンションが建っています。
水屋脇本陣の跡は消防署になっています。
旅籠は全部で67軒あったのですが、脇本陣に次ぐほどの格式があった旅籠が本金子屋です。
玄関と貴人用の門を備えるほどの大旅籠だったのですが、現在の建物は明治2年(1869)に建て替えられた家屋です。
問屋場と高札場の跡地には、それぞれ表示が出ています。
問屋場跡のそばには、自動販売機とリサイクルボックスに助郷会所跡の表示があります。
助郷とは各宿場で用意している継立用の人足100人、馬100匹では足りなくなったとき、人と馬を宿場に提供する義務を課せられた農村のこと、あるいはその役務のことを言います。
かれら助郷から保土ケ谷宿に応援に来た人たちと馬の詰め所が助郷会所です。
保土ケ谷宿の西側の入口であった上方見附には土居が設けられていて、すぐ横に一里塚がありました。
跡地では小さな一里塚と土居が復元されています。
保土ケ谷宿の西の入口から約1キロのところに元町ガード交差点がありますが、ここから北側へと延びてJRの下をくぐる道が保土ケ谷宿移転前の東海道です。
この道の先にかつての保土ケ谷宿があったので「元町」なのです。
元町交差点から南の道が東海道です。
この交差点から約130メートルで、東海道最初の本格的な上り坂、最初の難所とも呼ばれていた権太坂が始まります。
東海道最初の難所を控えて旅人たちが休息を取る、保土ケ谷宿はそのような宿場でした。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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2025年
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