今年の大河ドラマの「べらぼう」は平和な江戸時代を描くことで前評判は必ずしも芳しくありませんでしたが、蓋を開けてみたら波乱に満ちた物語でした。
吉原の華やかさの影にある悲惨な現実を描く一方で、幕府内の熾烈な権力争いや将軍の後継争いが描写されています。
1月19日放送の第3話では、田安徳川家の賢丸が白河藩の松平家に養子に行くことが決まりました。
田安徳川家は御三卿のひとつで、将軍が跡継ぎがないまま没したときに、次の将軍を出す家柄です。
御三卿というくらいですから3つの家があり、それぞれ屋敷のそばにある江戸城の城門の名前を取って、田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家と呼ばれていました。
ところが養子縁組み先が決まったところで、賢丸の兄の田安治察が急死します。
「べらぼう」の中では何者かに殺害されたことを疑わせる描写がされていました。
もともと白河藩に行くことを嫌がっていた賢丸は、当主である兄が死んだことで田安家の跡を継ぐことを主張するものの、結局白河の松平家の養子となります。
この賢丸が後に老中として寛政の改革を主導する松平定信です。
ドラマの中では家格の低い家のような扱いがされていましたが、白河藩の松平家はどのような家なのでしょうか。
実は東海道五十三次にも深く関わり、徳川家康とも親しい関係にある重要な家柄なのです。
白河の松平家は、最初から白河にあったわけではありません。
最初は京都に近い淀、次に桑名を治めていました。
しかもこの松平家の初代は、徳川家康の弟の松平定勝です。
徳川家康は岡崎の松平家の生まれですが、父広忠と母於大の方の間に生まれた男児は家康だけだったとされています。
戦国武将の家に生まれた男児は戦場で敵から首を狙われるので、生き残れる者は少ないのですが、たったひとりの男児が戦国時代を生き残っただけではなく、天下人になってしまったのだから、家康はそれだけでも奇跡の人です。
ただし家康の母の於大の方は久松家に再嫁しており、そこで家康の異父弟3人が生まれています。
かれら3人は松平姓を与えられましたが、その一番下の弟が定勝です。
もとの姓が久松なので、この定勝の家系は久松松平家と呼ばれます。
松平定勝は家康から3兄弟の中で家康からもっとも重用されていました。
江戸時代になると、まず京都直近の要地である淀城主となり、家康の死後には桑名に移封されています。
この桑名というのが、東海道五十三次の中でも格別の要地なのです。
東海道は1回だけ海を渡る区間があります。
熱田宿(別名宮宿。名古屋市熱田区)と桑名宿(桑名市)の間にある七里の渡しです。
東海道は日本最大の交通路であり流通路です。
さらには徳川幕府に対する反乱が西国で起こったときには、七里渡しを渡らせないためにも桑名は重要な場所でした。
そのため徳川家康が関ヶ原合戦で天下を取ると、桑名にはまず徳川随一の猛将と呼ばれた本多忠勝を配置し、本多家の次には家康からもっとも信頼されていた弟の松平定勝が桑名藩主となったのです。
ところが5代目の松平定重のときに、桑名藩では野村騒動というお家騒動がおこり、久松松平家は懲罰的移封で宝永7年(1710)に高田藩へ、その31年後の寛保元年(1741)には白河に移封となりました。
高田も白河も、淀や桑名と比べるとあまり良い土地ではありません。
徳川家康の弟を祖とする久松松平家も、落ちぶれてしまったと言ってもよいでしょう。
そこで8代将軍吉宗の孫を田安家から養子をもらうことで再び幕府内での地位向上をもくろみ、その結果として白河藩主となったのが松平定信なのです。
田安家にいれば、いずれ将軍の跡継ぎになることもあったでしょう。
ところが養子先は名門とはいえ没落した久松松平家です。
それで賢丸は養子に行くのを嫌がったのです。
ご存知のとおり、久松松平家の養子となり賢丸から名を改めた松平定信は、後に老中にまで出世します。
彼は隠居した後に桑名への領地替えを幕府に望み、それがかなって久松松平家は文政6年(1823)に桑名藩主となります。
およそ113年ぶりに、東海道五十三次の要地・桑名に久松松平家は戻ってきたのです。
ちなみに幕末には桑名藩主の松平定敬は、京都所司代として徳川慶喜を軍事面などで支えました。
そのため鳥羽伏見の戦いの後、真っ先に新政府軍の攻撃目標となり、桑名城は炎上することとなります。(桑名藩が降伏のために自ら火を放ったという説もあります)
白河藩の久松松平家は、江戸時代を通じてなかなかの波乱を経験した家柄だったのです。そんなところに松平定信は養子に入ったのでした。
→白河藩・桑名藩だった松平家の江戸屋敷の場所についてはこちら
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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