本日放送の「べらぼう」では田沼意次の画策により、ついに田安徳川家の賢丸が白河藩松平家に養子入りを決意する描写がありました。
安永3年(1784),賢丸17歳のときでした。
これまでの放送からは、学問ガチガチで頭でっかちの考え方に余裕のない子供のような描かれ方をしていた賢丸ですが、実は多芸の人です。
父の田安宗武が学問に秀でていたことから英才教育を受け、8歳から儒学を学び始めています。
同時期に書道と和歌を学び、13歳ころからは猿楽(能)、弓術、槍術、剣術を習い始め、その2年後には狩野派などから絵を学んでいます。
実に多芸です。
ドラマの中では傀儡師を演ずる一橋治済や田沼意次に「恥を知れ」と罵っていましたが、本人は能を学んでいたくらいですから芸能を全く否定していたわけではなさそうです。
さて、安永3年に将軍徳川家治の命によって白河藩松平家に養子に行った賢丸は、養父の松平定邦から一字をもらって定信と改名しています。
先にも書きましたが、白河藩の松平家は徳川家康の弟松平定勝を始祖とする名門です。
ただ、定勝は次男定行とともに伊予松山に移封となりました。
そこでそれまで治めていた東海道の要地・桑名は三男の定綱が継いでいます。
ちなみに定勝の長男定吉は、定勝が掛川城主だったときに早世しています。
当舎主催の東海道五十三次を歩くイベント「京都まであるく東海道」では、松平定吉の墓と伝わる「遠江塚」を見に行きました。
この桑名藩が高田を経て白河に移封になったのが、白河松平家なのです。
→白河松平家 「べらぼう」で松平定信が嫌がった養子先とは?
こんなわけで、伊予松山藩と白河藩は非常に近い親戚同士になるのですが、幕府からすると伊予松山が本家、白河は分家という扱いだったらしく、家格にだいぶ差がありました。
江戸城内の部屋も、伊予松山藩が幕府内で重きをなす大名が詰める溜の間、白河藩が一般的な譜代大名が詰める帝鑑の間でした。
そこで自家の家格を伊予松山藩同様に上げるため、定邦は田安徳川家に養子の口を頼んだと考えられています。
こうして白河藩松平家の養子になった松平定信ですが、その屋敷はどこにあったのでしょう。
江戸時代の古地図と現在の地図を見くらべながら探してみましょう。
まず田安徳川家ですが、「べらぼう紀行」でも放送していましたが、その上屋敷は現在の北の丸公園にありました。
明和9年(1772)に須原屋茂平が発行した「江戸大絵図」に田安徳川家の屋敷が載っています。
徳川大蔵卿と描いてある屋敷です。
賢丸の兄の治察の官位が従三位大蔵卿だったことによります。
北の丸公園といえば「大きな玉ねぎの下」に日本武道館が建っている場所ですが、日本武道館があったのは田安家とともに御三卿だった清水家の屋敷があった場所です。
田安家の屋敷は日本武道館の西側、現在は森がある庭園になっているところです。
ちなみに明和9年はドラマの冒頭で描かれていた江戸で大火が起こった年です。
「目黒行人坂の火事」と呼ばれるこの火災で田安徳川家の屋敷も全焼し、屋敷の建て直しまでの間、賢丸も許可を受けて江戸城の本丸で生活していたそうです。
ここから推察すると、将軍家治からはだいぶ気に入られていたようです。
養子縁組先の白河松平家の屋敷も同じ地図に載っています。
その上屋敷のあった場所は楓川(もみじがわ)という江戸時代の運河のすぐほとりでした。
明和9年発行の「江戸大絵図」には「松平越中」と描かれています。
この地図で黄色っぽく描かれているのが楓川です。
現在、川は首都高速道路となっていますが、その宝町ランプの東側一帯が白河藩の上屋敷があった場所です。
白河藩の上屋敷の前の楓川には橋が架かっていました。
この橋は当初は運河の名前から「もみじ橋」と呼ばれていましたが、白河藩松平家、のちの桑名藩松平家は越中守だったことから「越中殿橋」と呼ばれるようになりました。
幕末の文久3年(1863)に金鱗堂から発行された江戸切絵図には「越中殿橋」と描かれています。
ところが松平定信の晩年に松平家は白河から桑名に移封となります。
松平家にとって父祖の地に戻ることを定信が希望したためとされています。
そして幕末、桑名藩主松平定敬は徳川慶喜を補佐して京都所司代の職にあったため、戊辰戦争が始まると薩摩・長州といった新政府軍から桑名藩は目の敵にされ、真っ先に攻撃目標とされてしまいました。
このように桑名藩松平家は「朝敵」とされてしまったため、明治時代になり政府によって橋の名前が変えられてしまいました。
新しい橋の名前は「久安橋」。
近くに住んでいたお医者さんから名前をとったといわれています。
賢丸、そして松平定信が住んでいた住んでいた屋敷、今はすっかり風景が変わりましたが、それぞれ家の名前の由来となった門やゆかりのある橋などが、当時の名残をとどめています。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
最新のブログ記事
- 桃里 不本意ながら改称した新田東海道の原宿から元吉原の間には10箇所の新田がありました。それらの新田の地名は今も使われているのですが、1箇所だけ地名が変更された新田があります。
- 山ノ神古墳・庚申塚古墳 「命塚」と呼ばれた古墳原宿から元吉原にかけての東海道の北側は、昭和40年ころまで湿地帯でした。その湿地だった場所に2つの古墳があります。命塚と呼ばれています。
- 摺鉢の松 原宿松蔭寺にある白隠禅師の逸話臨済宗中興の祖といわれている原宿の白隠禅師は、たくさんの逸話のある人です。もっとも有名なものは高価な摺鉢を松の幹にかぶせた「摺鉢の松」でしょう。原宿に松の木を訪ねました。
- 江戸の次は箱根?! 松尾芭蕉、東海道をゆく2松尾芭蕉の最初の紀行文「野ざらし紀行」。江戸を発った様子を記した後、記述は突然箱根に飛びます。そこで芭蕉が見たものとは? 詠んだ句とは?
- 池田恒興の首塚?! 東海道新居宿の池田神社小牧長久手合戦で戦死した武将池田恒興の首塚と呼ばれている場所が、東海道の新居宿にあります。ところが首塚と呼ばれる経緯にはちょっと不可解な点が。ここは本当に首塚?
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府東海道歩き旅第7シリーズ
(2023年10月日本橋スタート)
開催日時
2026年
4月25~26日 磐田~高塚【受付終了】
5月23~24日 高塚~二川宿【受付終了】
9月19~20日 二川宿~国府
参加費 各回5500円
月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅 - めざせ大阪! 京街道をゆく 第2回 淀宿~枚方宿開催日時
2026年9月22日~23日
参加費 7000円
大津で京都へ向かう東海道から分かれて、大阪へと向かう京街道を歩く2回目。国宝の石清水八幡宮、重要文化財の片埜神社、かつての遊廓など、多くの見どころにあふれる道を歩きます。 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根東海道歩き旅第11シリーズ
(2025年10月日本橋スタート)
開催日時
2026年
10月3日 国府津~小田原宿
11月7日 小田原宿~箱根湯本
12月5日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円
月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦東海道歩き旅第15シリーズ
(2026年10月日本橋スタート)
開催日時
2026年
10月4日 日本橋~品川宿
11月8日 品川宿~蒲田
12月6日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
月に1回、平日に日帰りで東海道五十三次を歩くイベント。日本橋を新規スタート。 - 日帰りであるく東海道Light 第3期 生麦~藤沢宿東海道歩き旅第12シリーズ
(2025年11月日本橋スタート)
開催日時
2026年
5月13日 生麦~保土ケ谷宿【受付終了】
10月7日 保土ケ谷宿~戸塚宿
11月4日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円
月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦東海道歩き旅第14シリーズ
(2026年5月日本橋スタート)
開催日時
2026年
5月14日 日本橋~品川宿【受付終了】
6月11日 品川宿~蒲田【受付終了】
10月8日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
月に1回、平日に日帰りで東海道五十三次を歩くイベント。日本橋を新規スタート。




















