愛知県の東からおよそ3分の2は、かつては三河国でした。
さらに三河は東三河と西三河に分かれていました。
これら2つの地域は、山地に隔てられていました。
この山の間を流れる音羽川沿いの谷間に、東海道があったのです。
江戸時代の宿場で言えば、赤坂宿までが東三河、藤川宿から西三河となります。
この谷間を抜ける細い道だった東海道、今は国道1号がこの谷間を通り、東海道は国道になったり、国道から離れて細い道となったりしてつづいています。
しかし両側を山に挟まれた谷間の道であること、実際に東海道を歩いていると実感できます。
この谷間の東海道は、東三河の中心都市だった吉田と西三河の中心都市であった岡崎を結ぶ最短ルートです。
戦国時代にはの谷間の道を押さえることが、三河の制圧の鍵となりました。
ここにポイントとなる場所があります。
長沢です。
長沢は谷間のちょうど中間地点に位置し、そしてここには城があったのです。
現在長沢小学校のある一帯が長沢城の跡とされていますが、なんと東海道をはさんだ向かい側の山の上にも城がありました。
こちらは岩略寺城と呼ばれています。
江戸時代後期に編纂された「三河後風土記」という本には、三河の覇権をめぐって徳川家康と今川氏真がこの谷間をめぐって激しい戦いを繰り返したことが書かれていますが、その中に長沢城が登場します。
谷間の中央に位置することから、戦略上の要地であることは間違いありません。
問題は、「三河後風土記」に記述のある「長沢城」が、現在小学校がある場所にあった城なのか、それとも岩略寺城のことなのか、あるいは両方なのかがわからないことなのです。
謎は残りますが、とにかくは岩略寺城を訪れてきました。
名電長沢駅を下りて国道1号を渡ると、岩略寺城への案内看板が出ています。
これにしたがって道を進みます。
道路は舗装されています。
これなら安心して城跡まで行けそうです。
途中に野生動物を防ぐためのフェンスがあります。
ここを開けて通り、また必ず閉めてください。
フェンスを過ぎると岩略寺城の案内看板があります。
ここから約800mだそうです。
看板から100mちょっと進むと、左手に「近道」と書いてあります。
こっちへ行ってみようかなあ・・・
やはり早く城跡に着きたいので、近道に入って行くことにしました。
すると・・・
山道! しかも急傾斜!
倒木まである!
さらにつづく急傾斜!
なんども滑落しそうになりながら、1時間ほどかけて登りつづけたところ、ようやく城跡が現れました。
事前に得ていた情報どおり、堀がかなり土をかぶっていたり、土塁が崩れていたするものの、比較的良好な状態でともに残っています。
それぞれの曲輪が土塁と空堀に囲まれていて、次の曲輪に行くためにはその土塁の下を通らなくてはならない構造になっています。
城を攻め上ろうと思ったら、曲輪の上から攻撃を受ける仕組みです。
よくできた城です。
本丸に相当する本曲輪に着きました。
本曲輪では、人の話し声が聞こえました。
声のする方に行ってみると、本曲輪から下の方へ舗装道路が延びているが見えました。
そちらに向かって下りていくと、駐車場がありました。
近道を通らずに舗装道路をそのまま上っていれば、本曲輪のすぐ下に出られたのです。
往路で山道はもうこりごりですから、復路はこの舗装道路を使って戻りました。
杉の落ち葉はつもっているものの、滑落の心配もなくとても安全です。
やがて登るときに通った動物除けの柵が見えてきました。
ここまでの時間、およそ10分。
そして岩略寺城跡の表示がある場所に戻ってきました。
駐車場からここまで戻ってくるのに要した時間は、約15分でした。
教訓
近道ともうけ話は信じてはいけない!
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第2期 生麦~藤沢宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月19日 生麦~保土ケ谷宿
5月24日 保土ケ谷宿~戸塚宿
6月21日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第11期 土山宿~三条大橋月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅 最終章
開催日時
2025年
9月27~28日 土山宿~石部宿
11月1~2日 石部宿~石山
12月6~7日 石山~三条大橋
参加費 各回6500円 - 日帰りであるく東海道 第2期 生麦~藤沢宿月に1回、日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
10月12日 生麦~保土ケ谷宿
11月9日 保土ケ谷宿~戸塚宿
12月14日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第3期 藤沢宿~国府津月に1回、日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
10月18日9:00~16:30ころ
11月15日9:00~16:30ころ
12月20日9:00~16:30ころ
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第6期 原宿~岡部宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
10月25~26日 原宿~蒲原宿
11月22~23日 蒲原宿~東静岡
12月27~28日 東静岡~岡部宿
参加費 各回5000円
最新のブログ記事
- 通油町の橋 「べらぼう」で蔦重たちが渡った橋とは?大河ドラマ「べらぼう」で、日本橋進出をもくろむ蔦屋重三郎ですが、彼と吉原の親父たちが通油町に行くためにわたる橋がドラマに出てきます。実はこの橋、日本橋ではないのです。
- 雑色熊野神社 残された戦前の記憶京急電鉄の駅名になっている「雑色」。東海道の立場でもあった雑色村ですが、ここの鎮守だった熊野神社には興味深い狛犬があるのです。
- 「べらぼう」で出店をめざす耕書堂 日本橋とはどんなところ?吉原で版元を営んでいた蔦屋重三郎は、後に日本橋に出店し、こちらに本拠を移します。それでは日本橋とはどのような場所だったのでしょうか?
- カメヤマローソクタウン 東海道の新スポット日本最古の幹線道路である東海道は、日々変わっています。46番目の宿場、亀山宿近くにも新たな立ち寄りスポットができました。
- 神田明神と東海道 浜名湖近くで見たものが神田に!東海道は日本中のいたるところと関連があります。たとえば神田明神。東海道の浜松宿から舞坂宿へ行く途中で見たものが、そこにあるのです。