東海道五十三次は箱根の西坂にある山中城。
この城は安土桃山時代に豊臣秀吉が率いる東海以西の大軍勢と、小田原の北条氏の大合戦が行われた城です。
箱根の山中にあるためか、当時の土塁や堀、それらに囲まれた曲輪の遺構がよく残っている城で、日本100名城の1つにも数えられています。
この城の堀は「障子堀」と呼ばれる特殊な形態をしたもので、堀を見るのも城の楽しみ方の一つです。
→山中城とワッフル
山中城には城の遺構を見るという楽しみ方、障子堀を撮影する楽しみ方ももちろんあるのですが、ほかにもこの城の地理的条件から楽しめるものがあります。
それは・・・
富士山!
そして駿河湾!
山中城は箱根の西坂の尾根の上に築かれた城です。
そのため西に向けて景色が開けており、富士山や駿河湾の眺望を楽しむことができるのです。
とくに山中城の一番西に位置する岱崎出丸の跡からは、富士山も駿河湾もよく見えるのです。
岱崎出丸は東海道を側面から押さえるための城の一部です。
天正10年(1590)の山中城の攻防戦では、東海道を大手門に向かって進む一柳直末の部隊に銃撃をかけて大将の直末を戦死させたものの、出丸の先端部から攻め込んできた中村一氏の部隊が大激戦の末に出丸を攻め落とし、これが山中城落城の契機となりました。
箱根の西坂には一柳直末を埋葬したとされる墓も残っています。
→一柳直末の墓
その戦国の激戦地は、今や富士と駿河湾の眺望が楽しめる場所へと変わっているのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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