東京駅八重洲北口のビルとビルの間です。

東京駅日本橋口の東側付近

ここの植え込みをよく見ると、大きな石がゴロゴロしています。

あっちにも!

こっちにも!

ここには特に大きな石が集められていて、説明板も設置されています。

大きな石が集まっている場所
江戸城外堀の石垣石の説明板

これらの石は、江戸城外堀の石垣の石なのです。
現在の外堀通りの西半分と、鉄鋼ビルなどが建っている場所には、もともと江戸城の外堀があったのです。

復刻版金鱗堂板江戸切絵図「御曲輪内大名小路絵図」より
©こちずライブラリ

(江戸切絵図)

そのためビルを建てるときなどに地中から見つかった江戸城外堀の石垣石が、ここに庭石のようにして、あるいは植え込みの縁石として置かれているのです。

江戸城外堀の石垣石

ところで、江戸城外堀の石とは別に少し小さめの石垣の石もあります。

北町奉行所の石垣石

江戸城外堀にあった呉服橋門の内側には、江戸時代の後期に北町奉行所がありました。
そのため跡地にあたる東京駅八重洲北口付近でビルを建てるにあたり、発掘調査を行ったところ北町奉行所の遺構が発掘されました。
そのうち排水口に使われていた石垣の石が、発見されたときと同じ配置で地上部分に並べられているのです。

北町奉行所跡の説明板

ここに北町奉行所があったのは、文化3年(1806)から幕末にいたるまで。
それではその前には何があったのかというと、大名や旗本の屋敷がありました。

たとえば田沼意次。

宝暦13年(1763)「分間江戸大絵図」より
国立国会図書館デジタルコレクションより

「コフクハシ」(呉服橋)と描いてある上に「田沼トノモ」(田沼主殿)と描いてあります。

田沼意次は8代将軍徳川吉宗に起用され、次々に領地が加増されて宝暦8年(1758)に1万石に達し大名になりました。
大名になりたてのころの意次の屋敷がこの場所にあったのです。

これまで単なる賄賂政治家として悪役でドラマに出てくることが多かった田沼意次ですが、「べらぼう」で渡辺謙さんが演じる意次は骨太の幕政改革者、それゆえに敵の多い人物として描かれています。

なお、田沼意次はその後も順調に出世し、大手町の大きな屋敷に移転しています。
→田沼意次の屋敷跡

それよりも前の時代に住んでい有名人もいます。
吉良上野介です。

元禄14年(1701)「江戸絵図」より
国立国会図書館デジタルコレクションより

「ごふくばし」と描いてある上に「吉良上野」と描いてあります。

吉良上野介は6000石の旗本でしたが、元禄14年(1701)の松の廊下事件で負傷し、浅野内匠頭の旧臣たちが屋敷に討ち入るという噂が立ったことで、江戸城に近いこの場所から本所に屋敷替えになったとされています。

本所の吉良邸跡

ところで平成11年(1999)の大河ドラマ「元禄繚乱」では、吉良上野介を石坂浩二さんが演じていました。
石坂浩二さんといえば、「べらぼう」で“白まゆげ”こと松平武元を演じています。

東京駅八重洲北口の北町奉行所の跡地は、こんなにも「べらぼう」と関わりの深い場所だったのです。

注:無理矢理こじつけました。

   

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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