東海道の新居宿には、池田神社という小さな神社があります。

天正10年(1582)の本能寺の変で織田信長は自害しました。
その跡目をめぐって織田家に内紛が起こり、信長の次男である織田信雄を擁する羽柴秀吉が勝ち残りました。
ところがその後、信雄を差し置いて秀吉が実権を握ったために、怒った信雄は徳川家康を頼りました。
こうして起こったのが天正12年の秀吉と家康の直接対決、小牧長久手の戦いです。
秀吉はこの戦いを有利に導くため、織田信長の重臣で秀吉に味方していた池田恒興らに軍を率いさせ、小牧山城に面していた徳川家康の陣の背後にあたり、家康の本拠地のひとつであった岡崎城を攻撃させようとしました。

しかしこの作戦は家康に察知され、逆に家康率いる軍勢によって池田恒興らの軍は長久手の山中で急襲を受け、池田恒興は戦死しました。
このとき恒興を討ち取ったのが永井直勝(当時は長田伝八郎と名乗っていましたが、改名後の永井直勝で統一します)です。
永井直勝は三河国大浜の豪族でしたが、この手柄などにより子孫は高槻藩などの大名となりました。

長久手での手柄を家康から激賞され加増などの褒美をえた直勝は、新居宿に恒興の首を埋葬して神社を建てました。
それが池田神社とされています。
この話が本当ならば、池田恒興の首塚と呼んでよいでしょう。
もともと新居宿はもっと南にありましたが、宝永4年(1707)の水害によって北に移転しています。
そのとき池田神社も北に移転しました。
それが現在新居宿内にある池田神社です。
ところが「首が埋葬されている」となる経緯が、なんとも不可思議なのです。
さまざまな話が伝わっていて、虚実がない交ぜになっているのです。
例えば新居の伝承では、長久手の山中で池田恒興を討ち取った永井直勝は、手柄を欲した味方の武士からこの首を奪い取られそうになり、逃げに逃げて新居まで来たそうです。
それでもその味方の武士は追ってきたので、直勝は茶屋の老婆に匿ってもらい、そこで地中に首を隠し、後に神社を建てたのが池田神社と伝わっています。
一方で昭和60年(1985)発行の「新居町史 風土編」では、永井直勝は首実検のために浜松に行く途中、新居宿の笹瀬弥三郎の家に宿泊し、浜松から帰る途中に再び笹瀬家に立ち寄って、家康の命を受けてここに恒興の首を埋葬して神社を建てたと書いてあります。
戦闘が終了したらすぐに首実検はするものだと思うのですが、家康が居城の浜松に帰ってからというのがなんとも違和感のある話です。
永井家に伝わる「尾州長久手原御合戦之覚」には、もう少し信憑性が高そうな話が書かれています。
直勝は恒興を討ち取ったのですが、それが敵の大将とは思わずにいたところ、親友の安藤直次から恒興だと教えられて首を小牧山の徳川家康の本陣に持っていったのです。家康は直勝を激賞して、知行1000石と恒興が持っていた「笹の雪」という名刀を直勝に与えたというのです。
ただしその首の埋葬については書かれていません。
江戸時代の半ばころ、1700年代から新居宿の書面に池田恒興を祀る池田神社が出てくるようになります。
寛延3年(1750)に新居宿の庄屋と組頭が書いた覚書には、「弥三郎の屋敷内に池田恒興を祀る神社があり、永井家と池田家が参勤交代の途中で参拝していく」と書かれています。
笹瀬弥三郎家では、池田恒興の子孫である鳥取藩の池田家に神社の修復や寄付を求めるために必要な書面を、寛延4年や明和7年(1770)に奉行や役所宛に書いています。
ただし新居宿や笹瀬家が書いた書面には、ここに池田恒興の首が埋葬されてあるかどうかについては触れられていません。

ところが幕末ころに新居関所の役人が書いた記録「新居在勤中日録」には、新居宿の池田神社は池田恒興の首が埋葬された場所と書かれているのです。
こうしてみると小牧長久手合戦で戦死した池田恒興を祀る神社が、理由は不明ながら新居宿にあり、これに鳥取藩の池田家が出資していたものが、幕末ころには恒興の首が埋葬されていると話が変遷していることがわかります。
池田恒興の首が本当に埋葬されているのかどうかはわかりませんが、すくなくとも江戸時代の半ばころには鳥取藩池田家では先祖を祀る神社と認識していたようです。

池田神社は平成後半ころには草茫々の状態でしたが、近年は境内が整備されています。
東海道沿いのここが入口です。

ここから参道を進むと鳥居が灯籠が置かれています。

その奥に小さな社殿があります。

恒興が戦死した池田家は、その長男の元助も戦死したため、次男の照政(のちの輝政)が跡を継ぎました。
その子孫は2家に分かれ、それぞれ備前岡山と因幡鳥取の大名になりました。
この鳥取藩池田家は参勤交代で新居宿を通るときには必ず池田神社に参拝し、明治以降には侯爵となった鳥取、岡山の両池田家において、池田神社の維持費を負担していたそうです。
説明板が設置されておらず、入口も見てのとおりわかりづらいのですが、東海道をあるく際は是非立ち寄ってみてください。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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