天正10年(1582)6月13日、現在の京都府乙訓郡大山崎町の天王山の麓の西国街道で、羽柴秀吉の軍と明智光秀の軍が激突しました。
山崎合戦です。

ここは淀川と天王山に挟まれたせまい土地に街道が通っており、合戦が起きやすい地理的条件がそろっています。
羽柴秀吉の軍に山崎の西国街道を押さえられた明智光秀は、羽柴軍に戦いを挑みますが敗れ、坂本城に退く途中で落ち武者狩りにあって命を落としました。
光秀の死後、坂本城はどうなったのでしょう?
令和5年(2023)、坂本城の石垣が発見されてニュースになりました。


大津市立歴史博物館の展示より
坂本城は琵琶湖西岸にあり、城下には湊を備え、京都への物流を担う役割もしていました。
まさに京都を抑える城だったのです。
光秀を破った秀吉は、「坂本は天下を包む城で、自分にそのような野望があると思われるのは迷惑」という意味のことを言い、なぜかこのときは遠慮して、ともに光秀を破った丹羽長秀に坂本城を与えました。
「天下を包む」とは「天下(京都)を支配できる城」というくらいの意味でしょう。
だからやっぱり秀吉は坂本城がほしかったのです。
賤ヶ岳合戦で織田家最強の武将といわれていた柴田勝家と、織田信長の有力な後継候補だった織田信孝を滅ぼすと、秀吉は丹羽長秀に柴田勝家の旧領だった北陸を与え、坂本城は自分のものにしてしまいました。
そして坂本城に秀吉の一門の杉原家次を城主として送り込みました。
聞いたことがない名前かもしれませんが、秀吉の妻の寧(ねね、おね)は杉原家から浅野家へ養子に行き、そこで秀吉と結婚しています。
杉原家次は、寧の実母の兄に当たるのです。
大河ドラマや時代小説にもあまり出てこない杉原家次ですが、当時の手紙などにはよく名前が出てきます。
羽柴秀吉に用件がある人は、浅野長吉(後の長政)か杉原家次にまずは手紙で取り次ぎを頼んでいたからです。
つまり杉原家次は浅野長吉と並んで羽柴家中を代表する家臣だったと言うことです。
山崎合戦の後には、杉原家次は浅野長吉とともに京都奉行を命じられ、京都の治安維持に務めています。
そんな人物ですから、秀吉から坂本城を与えられたのでしょう。
しかし坂本城主になってからたった半年で、家次は福知山城に移されています。
精神を病んだことが原因という説があります。
ちなみに江戸時代には豊臣姓を名乗っていた木下という大名がいましたが、これは杉原一族で家次の娘婿にあたる寧の実兄(つまり妻が従姉妹)が、木下姓を与えられ木下家定と名乗ったその子孫にあたります。

復刻版金鱗堂尾張屋板江戸切絵図©こちずライブラリ
杉原家次の後に坂本城主になったのは、江戸時代に広島の大名になる浅野家の祖である浅野長吉です。
浅野長吉も秀吉の一門です。
寧の従兄弟であるとともに、妹の「やや」の夫にあたります。
側近中の側近である浅野長吉が城主になったくらいですから、秀吉がいかに坂本を重視していたかがわかります。
ところが、なぜかそれから3年で坂本城は廃城になってしまいました。
そして天正14年に築かれたのが大津城です。
大津は坂本と並ぶ琵琶湖西岸の湊町でした。
大津に城が築かれたことにより、坂本にあった湊の機能も大津に一元化されました。

こうして大津城築城の経緯を知ってみると、大津城は造りが坂本城に似ている気がします。
どちらの城も二の丸の周囲を三の丸で囲み、本丸は琵琶湖に飛び出しています。
ただし大津城の方が2倍ほどの大きさがあります。

大津市立歴史博物館の展示をもとに国土地理院地図に加筆して作成

同上
大津城は関ヶ原合戦の折に大激戦があり、城は破却されてしまいます。
江戸時代には東海道最後の宿場となる大津ですが、坂本城の後継となる城があった町だったのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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