永禄11年(1568)9月、足利義昭は織田信長の力によって京都入りを果たします。

これによって衰退していた足利幕府を再興しようとしたのです。
翌月、朝廷より将軍に任命された義昭は、織田信長に副将軍または管領の地位を与えようとしますが、信長はこれを断ったという話が「信長公記」など当時の文書に出てきます。
一方、「足利季世記」というあまり信用性が高くないといわれている書物には、次のようなことが書かれています。
後日、信長は3か所の町に自らの代官を置くことを、義昭に対しても求めたというのです。
「足利季世記」は室町時代から江戸時代初期ころにかけて編纂されたと推定されていて、著者は誰だかわかりません。
内容は当時の日記類などと矛盾するものが複数あり、そのため信用性が疑問視されているのです。
そのため信長が3か所の町に代官を置いたことは、本当かどうかわからないのが実情です。
そのことを前提にお話ししますが、その3か所の町とは、堺、大津、草津なのです。


堺は当時国際貿易が行われていた大阪の港で、交易による利益が信長の目的だったことは明らかです。
父の織田信秀の代から、織田家は湊がある商業都市などを支配下に置くことで勢力を拡大してきました。
だから堺を直轄地として代官を置こうとしたことはあり得る話です。
それでは大津と草津とはどういう町なのでしょう?
そして信長の目的とは?
この2つの町は、江戸時代に東海道の宿場町となりました。
それぞれ大津が琵琶湖の西岸、草津が東岸に位置します。
そして戦国時代から、琵琶湖を往来する船が出る湊のあったところでした。
浮世絵にも大津と草津にあった湊の様子を描いたものがあります。


現在も大津と草津の湊の跡は残っています。
大津の湊は大津宿の中にあり、船着き場の跡地には当時の常夜灯が残されています。

草津の湊は宿場からは3キロほど西になりますが、山田、南山田、矢橋にありました。
いずれの湊へ向かう道も草津宿から出ていましたので、草津は舟運の要となる町だったのです。
上の草津宿の浮世絵には、店の右横に矢橋に向かう道の道標が描かれています。



そしてこの道をたどった先にある矢橋湊の跡地には、石を積んで作られた船着き場の跡が残っています。

まさに草津の湊の絵に描かれている船着き場です。
さらに、一見地味にもみえるこの2つの町は、実は戦略上非常に重要な地なのです。
戦国時代、相次ぐ戦乱によって荒廃したとはいえ、京都は大都市でした。
京都で消費される米、あるは生活に必要な物資は、大津と草津に陸路をもって集められ、草津に集まったものは船で琵琶湖を渡って大津に送られていたのです。

そして大津から逢坂山を越えて、京都へと送られていたのです。
江戸時代のものになりますが、浮世絵や「近江名所図会」には、大津から逢坂山を越えて、牛に引かせた米を運ぶ様子が描かれています。


江戸時代には牛に牽かせた車で物資運搬をしておりましたが、それ以前にも人力や馬借と呼ばれる馬を使った運搬業者が京都へと物資を運んでいました。
このように大津と草津は京都へと物資を運ぶ要地だったのです。
この2つの町を押さえることは、京都の首根っこを押さえるのと同じなのです。
信長が大津と草津に代官を置いた話は本当かどうかわかりませんが、もし本当だとすると、足利義昭を含めた在京の勢力が敵対する関係となったとき、信長は京都への物資の搬入を止める力を手に入れることになるのです。

まさに経済を視野に入れた戦略眼ですが、信長だったら本当にそのような戦略眼をもっていたことはあり得る話です。
織田信長が大津と草津に代官を置くことを足利義昭に要望したかどうか、本当のところはわかりませんが、少なくとも「足利季世記」の著者の時代には、すでにこれらの町が京都への物資搬送の拠点だったことは間違いなさそうです。
東海道はなにも江戸時代のものだけではありません。
戦国時代の様相も一緒に考えながら見ると、歩き旅がもっと面白くなります。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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