東海道14番目の宿場である吉原宿は、水害などで2回にわたって移転しています。
江戸時代初期には今のJR吉原駅の東の海のそばにあったものが、水害や砂が堆積したために寛永16年(1639)から17年ころに宿場は北西約2キロの場所に移転しました。
そしておよそ40年後の延宝8年(1680)には台風にともなう高潮に襲われて吉原宿でも壊滅的な被害を受け、現在の場所、つまり岳南鉄道の吉原本町駅付近に移転したのです。
最初に吉原宿があった場所が元吉原、2番目にあった場所が中吉原という地名になりました。

国土地理院地図に加筆
上の地図では国土地理院の地図に宿場移転後の東海道を赤実線、2回移転する前の吉原宿の推定地と最終的な吉原宿の位置を加筆してあります。
①は最初の東海道、②は1回目の移転後の東海道を赤点線で描いています。

2回目の移転、中吉原から現在の吉原宿(新吉原)へと移転のきっかけとなった高潮については、吉原宿の名主が享保8年(1733)に記したとされる「田子のふるみち」に、本人の回顧としてその様子が記されています。
同書には、同年閏8月5日の夜から翌朝にかけて暴風雨になり、午前8時すぎに津波が来て家々を壊して押し流し、午後4時ころには一面が海のようになってしまったと書かれています。
ここには「津波」と記述されているのですが、台風と思われる暴風に伴うものですので、現在でいうところの高潮と考えられます。

このとき、宿場の東端にあった悪王子神社は島のように水面に浮かんでおり、4艘の船で140~150人の人が神社に逃げていたそうです。
そこへさらに3艘の船で逃げてきた人たちが神社の「島」に逃げようとしたのですが、壊れた家が邪魔をして近づくことができず、やがて流されて土手に衝突して転覆し、全員溺死してしまったと書かれています。
著者をはじめとして悪王子神社に逃れた人たちは、人々が溺れて次々に水に沈んでいくのを助けることもできず、ただ見ているしかなかったのでしょう。
まさに地獄絵図です。

悪王子神社は現在の左富士神社です。
もともとは中吉原宿よりも少し江戸寄りにあった依田村(依田橋村)の氏神で、祀られている神は「悪王子神」で、誰のことだかわからない神社でした。
田んぼの中にあり、木が生い茂っていたことから「悪王寺の森」といわれていました。
神社を守っていたのは神官でなく山伏で、旅人たちが彼の家で休むので「山伏茶屋」と呼ばれていたそうです。
元吉原から中吉原に宿場が移転したとき、悪王子神社が宿場の入口となりました。
神社に多いようにもともと高台にあったらしく、延宝8年の大水害のときには、ここに逃げてきた人たちの命を救うこととなりました。
境内にある義隄碑には、このときの大洪水の様子が刻まれています。
日本各地によくありますが、水害の恐ろしさを後世に伝えるためのものでしょう。
高潮から75年後の宝暦5年(1755)に建てられました。

そして水害によって荒れ果てた中吉原から、翌年である天和元年(1681)に宿場はさらに約1.2キロ程度北西に移動しました。
現在の岳南鉄道吉原本町駅の西側にあたります。
移転後の吉原宿は新吉原と呼ばれ、明治5年の宿場制度廃止まで存続しました。

悪王子神社の誰だかわからなかった祭神は、明治8年(1875)からは火の神である迦具土神(カグツチノカミ)となりました。
明治初期の神仏分離によって、古事記・日本書紀の神様でないと神社に祀ることが難しくなったことが理由と考えられます。
そして明治41年(1908)には富士の名所にちなんで左富士神社と改称しました。

いまはすっかり平坦な場所になり海からも離れて、宿場が壊滅した高潮を想像するのは難しくなりました。
しかしこのときの悲劇を伝える碑は、いまも左富士神社の境内に残っているのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【参照文献】
「吉原市史」 富士市史編纂委員会
「富士がゆれたとき」 富士市立博物館(現富士山かぐや姫ミュージアム)
「中吉原宿遺跡」 富士市教育委員会
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