T1武蔵
東海道保土ケ谷宿 初めての難所を控えた宿場の江戸時代後期のデータと現在の姿
2025年1月5日
江戸時代後期に編纂された「東海同宿村大概帳」から保土ケ谷宿のデータをまとめました。江戸時代に書かれた絵や現在の写真と見比べてください。
石工頭の東照宮 日本橋小田原町の地名由来・石工の善右衛門
2024年12月31日
かつて日本橋に「本小田原町」という町がありました。また、築地にも「南小田原町」という町がありました。江戸にあった「小田原」の地名の由来を探ります。
湊神社の石灯籠 新居宿と銀座を結ぶものとは?
2024年11月7日
東海道上を約300キロ離れた場所にある東京の銀座と新居宿。この2つの町を結びつけるものが新居宿にあります。神社に奉納された灯籠の文字から読み解きました。
もうひとつの投げ込み塚 権太坂の投げ込み塚のほかにもあった東海道保土ケ谷宿の無縁仏の埋葬所
2024年9月16日
権太坂の上にある投込塚の碑は東海道歩き旅のガイドブックにも載っています。権太坂で行き倒れた人たちを葬った投げ込み塚の跡だといわれていますが、保土ケ谷宿にはもうひとつの投げ込み塚(穴)があったのです。
大坂の仇討ちー復讐編ー 父の仇を討て!東海道を逃げる男と追う兄弟、緊迫の追跡行の結末は?!
2024年9月15日
父を殺された須藤三兄弟は、東海道吉原宿へ向けて仇討ちの旅に出ます。ところが吉原宿に着いてみると仇はそこにいませんでした。こうして始まった追跡行、はたしてその結末は?!
大坂の仇討ちー遺恨編ー 東海道戸塚宿の西にある大坂で起こった仇討ち事件とは何だったのか?
2024年9月15日
戸塚宿の西にある大坂にある説明板には「仇討ちがあったという記録があります」と書いてあります。この仇討ち事件とはどのようなものだったのでしょう?
お軽と勘平、東海道をゆく 戸塚宿郊外にある「仮名手本忠臣蔵」の名場面の舞台へ
2024年9月14日
「仮名手本忠臣蔵」の登場人物、お軽と早野勘平。彼らが東海道を西へと向かう物語の舞台となったのは戸塚宿の西、大坂の上。ここに碑が立っています。
東海道神奈川宿 武蔵南部の大都市だった宿場の江戸時代後期のデータと現在の姿
2024年9月12日
江戸時代後期に編纂された「東海同宿村大概帳」から神奈川宿のデータをまとめました。江戸時代に書かれた絵や現在の写真と見比べてください。
武蔵と相模のはざまで 東海道最初の国境には何がある? 江戸時代と今とおいしい和菓子
2024年9月3日
東海道を歩いて旅するとき、初めて越える国境が武蔵と相模の間にある境木です。この最初の国境にはかつて何があり、今はどうなっているのでしょう?