京街道
東海道五十七次(3) 江戸幕府が京街道を管理下においたのはなぜ?
2024年11月18日
もともとは江戸と京都とを結んでいた東海道が、後には豊臣秀吉が整備した京街道と接続され、東海道が五十七次となりました。この大阪までの道を、江戸幕府が管理しようとした理由は何だったんでしょう?
ブラタモリで東海道五十七次 番組製作スタッフと放送をご覧になったみなさまへ
2024年11月4日
ブラタモリのテーマとして取り上げられた東海道五十七次。番組を作ったスタッフのみなさま、放送をご覧になったみなさまに、お伝えしたいことがあります。
東海道五十七次(2) 大阪へ向かう東海道の「つづき」京街道の成立ち
2024年10月30日
東海道五十三次のつづきとして、大津宿の先から大阪の高麗橋まであらたに造られた東海道五十七次の道。「京街道」とも呼ばれるこの道の成り立ちについて書きました。
東海道の宿場の成立年 東海道と京街道の五十七次の宿場設置はいつだった?
2024年10月23日
最終的には江戸から京都までが53次、大阪までが57次となった東海道ですが、同時にすべての宿場が成立したわけではありません。それぞれの宿場ができた年をまとめました。
東海道五十七次(1) 五十三次ならぬ五十七次?京街道とはなに?
2024年10月21日
東海道には五十三次という言い方の他に、五十七次という言い方があります。どっちが正しいの? そもそも「次」ってなに? これらの答えを書きました。