2024年1月1日に起こった能登半島地震では、甚大な被害が報告されています。
歩き旅応援舎でも少しでもお役に立ちたいと、当舎オリジナルのトートバッグ・Tシャツの売上金の50%を石川県が募金している能登半島地震にかかる義援金に寄付するチャリティー販売を行ってまいりました。
趣旨に賛同していただいたみなさまにトートバッグとTシャツのお買い上げいただき、あるいはご寄付をいただいたお客様もいらっしゃり、売上金の50%と合わせた額が1万円を超えました。これに当舎からも拠出して切りのよい額として、3月12日に石川県東京事務所へ赴き寄付をしてまいりました。
お買い上げいただいた商品は以下のとおりです。
Tシャツ 3枚
トートバッグ 6枚
![](https://arukitabi.biz/wp-content/uploads/2024/03/20240312_134646-1.jpg)
![](https://arukitabi.biz/wp-content/uploads/2024/03/20240312_133913_001-1.jpg)
![](https://arukitabi.biz/wp-content/uploads/2024/03/20240312_134357.jpg)
![](https://arukitabi.biz/wp-content/uploads/2024/03/20240312_134345.jpg)
けっして人気があるとは言えず苦しい経営がつづいている当舎ですが、それでも今まで存続することができたのは、困ったときに手を差し伸べてくださった方々がいらっしゃったからです。これについては、社会に対して恩返しをしないといけないと常々思っておりました。今回は何人もの方々のご協力で、些少とはいえ社会への恩返しがかなったと思っております。ご協力いただいたみなさまには、こころより感謝いたします。
今後も自分が多くの人たちに支えられてここまで来られたという事実を忘れず、これからも機会をみつけて社会への恩返しはつづけてまいります。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
最新のブログ記事
- 白河藩松平家 「べらぼう」で松平定信が嫌がった養子先とは?大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎の活躍の一方で、幕府内の権力争いなどが描かれています。その中で松平定信が嫌々ながら養子に行きました。養子先の白河の松平家とはどういう家なのでしょう?
- 正眼寺と曾我兄弟 東海道沿いになぜ曾我兄弟の墓があるのか?箱根宿に向けて坂道がつづく東海道。その途中に曾我兄弟のお墓があります。あまり目立たないお墓なのですが、なぜここに曾我兄弟の墓があるのかを探りました。
- 早雲寺 北条早雲の名を冠する箱根湯本のお寺箱根湯本にある早雲寺。箱根湯本から箱根宿へと向かう上り坂を少し登ったところにあります。東海道を先に進む前に、見ておきたいところを紹介します。
- 岡崎城のいま 時代とともに変化する徳川家康出生の城徳川家康が生まれた岡崎城。明治以降の解体や復元をへて、現在は新たな魅力を放っています。
- 築山御前と松平信康の首塚 東海道岡崎宿にある徳川家康の妻子の埋葬地徳川家康の正室築山殿と長男信康は、いずれも非業の死を遂げています。東海道岡崎宿にある彼らの首塚を訪ねました。
- 御油・赤坂の飯盛女 「べらぼう」の吉原だけではない遊女たちの光と影大河ドラマ「べらぼう」の影響で、吉原の遊女たちの光と影が取り上げられることが増えましたが、光と影はなにも吉原だけにあったわけではありません。東海道五十三次の宿場で働いている飯盛女も同様です。それについて、飯盛女が多かったという御油宿と赤坂宿を取り上げました。
- 宿場の本来の機能とは? 「べらぼう」田沼意次の「宿場が潰れるとどうなる?」の真意2025年大河ドラマ「べらぼう」で田沼意次の言った「宿場が潰れるとどうなる?」とはどういう意味でしょう? これには宿場本来の機能がかかわっています。
- 投げ込み寺 「べらぼう」で蔦屋重三郎も嘆いた遊女たちの死の実態は?大河ドラマ「べらぼう」に出てきた死んだ遊女たちの埋葬シーン。いきなりショッキングなシーンでした。はたして彼女たちの埋葬地「投げ込み寺」の実態とは?
- 東海道保土ケ谷宿 初めての難所を控えた宿場の江戸時代後期のデータと現在の姿江戸時代後期に編纂された「東海同宿村大概帳」から保土ケ谷宿のデータをまとめました。江戸時代に書かれた絵や現在の写真と見比べてください。
- 石工頭の東照宮 日本橋小田原町の地名由来・石工の善右衛門かつて日本橋に「本小田原町」という町がありました。また、築地にも「南小田原町」という町がありました。江戸にあった「小田原」の地名の由来を探ります。