いつもありがとうございます。
当面の間、歩き旅応援舎は原則として休業いたします。
詳細は以下のとおりとなります。
休業期間
2024年7月16日(火)より当面の間
(現時点では再開については何も決まっておりません)
イベントなどの今後の予定
古地図散歩
当面の間、休業いたします。
京都まであるく東海道 第5・第6シリーズ
これまでどおり開催し、京都までご案内いたします。
日帰りであるく東海道 第7シリーズ
これまでどおり開催し、ひとまず原宿まで、その後は一泊二日の「京都まであるく東海道」として京都までご案内いたします。
以上の東海道歩き旅のイベントに関しましては、いったん京都までご案内することをお約束した以上、最後までやり遂げさせていただきます。
今後の京都まであるく東海道・日帰りであるく東海道
現時点での新規シリーズの開始予定はありません。
ご挨拶
2024年5月24日付
歩き旅応援舎代表の岡本です。
このたびの休業の発表で、驚かれた方も多いことと思います。このような事態となり、まことに申し訳ありません。
まずは休業の理由についてご説明いたします。
歩き旅応援舎では、2020年の新型コロナウイルス感染症以来、収益が減少しておりました。これは他の多くの業種のみなさまも同じことと思います。
ここを乗り切ればなんとかなる、こう信じて頑張って経営をつづけてまいりました。常連のお客様も3分の1程度まで減ったものの、なんども古地図散歩や東海道歩きのイベントにご参加していただきました。少しずつではありますが、新規のお客様も参加してくださるようになりました。苦しい中でご参加いただいたみなさまに対しては、感謝してもしきれないほどありがたい思いを抱いております。
ところが想定外の事態となりました。
昨年5月に行動制限が解除された後、ご参加される新規のお客様がほとんどいなくなったのです。
古地図散歩は常連のお客様がご参加してくださりましたが、一度参加したコースに2度以上ご参加されるお客様はめずらしいです。
事前準備に多くの時間と経費を費やし、作成したコースを繰り返し開催することでそれらを回収するスタイルの当舎では、やはり新規のお客様に増えていただかないことには、思うように収益を上げることができません。
古地図散歩よりも影響が大きかったのが「日帰りであるく東海道」です。
コロナが始まる以前は日本橋スタート時には20人程度、コロナ中も平均10人程度のお客様のご参加をいただいておりました。
ところが昨年10月に日本橋を出発した第7シリーズと今年1月に出発した第8シリーズは新規のお客様がほんの数人、以前に当舎で東海道を歩かれ再度ご参加のお客様と合わせても10人に達しませんでした。
その理由が今年になって明らかになりました。
インターネットでキーワード検索をしても、歩き旅応援舎が上位に表示されなくなったのです。
おそらく行動制限が解除されたことで同種のツアーを催行している旅行会社へのアクセスが集中したのでしょう。特に「東海道ツアー」などキーワードで検索すると上位に表示されるのは旅行会社ばかりとなり、歩き旅応援舎は100位近くにならないと表示されなくなったのです。
新規にご参加されたお客様も「探すのが大変だった」とおっしゃっていました。こんなに下の方に表示されては、ページを開いてくれる人はほとんどいません。
私は良いものを作ればその評判はひろまり、おのずから人が集まるものと考えておりました。
しかしこれは私の情報不足と甘えによる誤った考えでした。
現在の世の中では、広告にお金を使わないならば、それ以外の方法でのインターネット検索で上位に表示される対策が必要でした。それを怠ったままきたのは私の大きな過ちでした。
とくにLINEのような限定された人々が対話できるシステムが全盛のいま、たとえ多数の人たちの話題に上っても、それを他の人が知ることは難しくなっています。
この流れを読み誤ったのは経営上の大きなミスでした。
検索結果が上位に表示されない状況は、いつまでつづくのかわかりません。そのためこのままの経営をつづけては状況の回復は望めません。ここは思い切った方策で大きく状況を変えていくしかありません。
何ヶ月もかけて考えた結論が、いったん歩き旅応援舎の事業を休止し、ふたたびお客様があつまってくれるような状況を作った上で事業再開をすることです。
もちろん、簡単なことではないことは承知しております。
経営の不振から休業にいたった事業者は、そのほとんどすべてがそのまま廃業にいたっていることも知っております。
しかし今の状況をずるずると続けていては、近い将来、生活を営むことができなくなることは明白です。
大きな冒険であり危険な賭であることは承知の上で、休業することを決めました。
歩き旅応援舎は、この1月で10周年を迎えました。
ようやく10年つづいたところで、このような決断をしなくてはならないのは本当に悔しく、無念と言うよりありません。
ただ、私はせっかく興した歩き旅応援舎を、他に類のない町歩きや、どこよりも詳細で楽しい東海道歩きを、このまま永久に亡くしてしまいたくはありません。
これまで当舎を応援してくださったみなさまのほとんどとは、しばらくはお会いする機会がなくなってしまいます。しかし再起がなったあかつきには、再び当舎の古地図散歩や東海道歩きにご参加いただけましたら、たいへん嬉しく思います。
最後となりましたが、これまで当舎のイベントにご参加くださったすべてのみなさま、当舎のグッズをご購入くださったすべてのみなさまに、厚く御礼を申し上げます。
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