横浜市
影取池伝説と徳川家康 東海道五十三次の戸塚宿と藤沢宿の間に伝わる伝説の意味を考える
伝説の内容を読み解くと、当時の人々の暮らしや考え方が見えてきます。影取池とおはんの伝説には、戦国時代の事情が隠されているかもしれないのです。
影取町とおはんの物語 東海道戸塚宿と藤沢宿の間に残る飼われたヘビの伝説
戸塚宿と藤沢宿との間は高台になっています。その高台の上に影取町というところがあります。ここには池があり、ヘビが住んでいたというのですが・・・。
浅間神社と椎の木 東海道の戸塚宿と藤沢宿の間の国道を歩くのに退屈したら立ち寄る神社
戸塚宿と藤沢宿の間につづく長い国道。東海道を歩いていて退屈したら、浅間神社に立ち寄ってください。マテジイに庚申塔がけっこう見応えあります。
もうひとつの投げ込み塚 権太坂の投げ込み塚のほかにもあった東海道保土ケ谷宿の無縁仏の埋葬所
権太坂の上にある投込塚の碑は東海道歩き旅のガイドブックにも載っています。権太坂で行き倒れた人たちを葬った投げ込み塚の跡だといわれていますが、保土ケ谷宿にはもうひとつの投げ込み塚(穴)があったのです。
戸塚の展望台 江戸時代に富士の名所だった東海道戸塚宿郊外で今だけ見られる眺望
戸塚宿の上方見附の跡を出て藤沢宿へと向かう途中、坂道を登るとそこは江戸時代からの眺望の地でした。そして今だけ設けられている展望台があるのです。
ここも原宿 東海道の宿場「原宿」とは別に戸塚宿と藤沢宿の間の高台にあった立場とは?
東海道には原宿という宿場があります。ところがそれとは別に原宿という立場もあります。場所は戸塚宿と藤沢宿の間。どのようなところでしょう?
大坂の仇討ちー復讐編ー 父の仇を討て!東海道を逃げる男と追う兄弟、緊迫の追跡行の結末は?!
父を殺された須藤三兄弟は、東海道吉原宿へ向けて仇討ちの旅に出ます。ところが吉原宿に着いてみると仇はそこにいませんでした。こうして始まった追跡行、はたしてその結末は?!
大坂の仇討ちー遺恨編ー 東海道戸塚宿の西にある大坂で起こった仇討ち事件とは何だったのか?
戸塚宿の西にある大坂にある説明板には「仇討ちがあったという記録があります」と書いてあります。この仇討ち事件とはどのようなものだったのでしょう?
お軽と勘平、東海道をゆく 戸塚宿郊外にある「仮名手本忠臣蔵」の名場面の舞台へ
「仮名手本忠臣蔵」の登場人物、お軽と早野勘平。彼らが東海道を西へと向かう物語の舞台となったのは戸塚宿の西、大坂の上。ここに碑が立っています。
ワンマン道路 東海道をショートカットするバイパスを造ったのは、戦後の日本を牽引したあの人だった!
東海道をショートカットする国道1号バイパス、通称「ワンマン道路」。戸塚駅前の踏切の渋滞を回避するため、新たに造られたバイパスにまつわる話とは?