先日、東海道を歩くイベント「京都まであるく東海道」の最中、お客様から聞きました。

「昨日のブラタモリが、山科でした。山科におっきなお寺、出てきました? それから、溝のある石も出てきました。なんでしたっけ?」

はい、それは山科本願寺です。東海道からは離れているので立ち寄ることはありませんが、山科を歩きながらお話はたっぷりとさせていただきます。

それに溝のある石は車石です。大津から日ノ岡峠の東海道を歩けば、途中でそれこそ山のようにあります。

お客様にはこのような感じで答えました。
最近ブラタモリを見たことはありませんが、ちょっと見てみる気が湧いてきました。

見ました!

※NHKプラスです。
※NHKプラスでの放送終了後も、NHKオンデマンドや各種動画配信サイトで視聴できます。(有料)

番組では逢坂の関、車石、山科本願寺について触れられていました。いずれも私が生業としている東海道歩き旅に関わりの深い内容です。そこで、逢坂の関、車石、山科本願寺について、今回から3回にわたってお話しします。

なお、事前にお断りしておきますが、私にはNHKにケンカを売ろうなどという気は毛頭ありません。受信料もちゃんと払ってます!

な・・・なにを言う気なんだ?!

まずは逢坂の関から。
古来から歌枕として知られ、特に蝉丸の歌は有名です。

これやこの 行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関

逢坂山の蝉丸(国国会図書館所蔵「東海道名所図会」より)

逢坂山の道の一番高いところ、峠に相当するところには「逢坂山関跡」の碑があります。

逢坂山を通る国道の頂点にある碑

解説の先生とタモリさんが、この碑の前で「ここですね」と言っていました。が・・・

そうじゃないんです!

逢坂の関がどこにあったのかについては、実はよくわかっていません。でも、関寺というお寺のすぐ近くにあったことはわかっています。というより、関所のそばにあったから「関寺」なのです。

関寺のあった場所は、現在長安寺がある場所だとされています。

長安寺には、霊験のある牛の墓である牛塔、100歳まで生きた小野小町の供養塔などがあります。

牛塔
100歳の小野小町(国立国会図書館所蔵「東海道名所図会」より)
小野小町供養塔

長安寺は逢坂山の東側の麓、大津駅が近いです。

関所はその近くですから、逢坂山の東の麓にあったと考えられるのです。
(厳密な位置関係では長安寺は逢坂山の峠の北にあたりますが、当舎では東海道は東の東京から西の京都へと歩いていますので、東京側という意味で「東」と表記しています)

大津駅の南にある逢坂小学校の前に、逢坂の関の碑があります。実際の位置関係からしたら、この碑の方が関所の跡地に近いはずです。

逢坂小学校前の碑

では、逢坂山の上にある碑は何なのでしょう?

この日は国道1号線、当時の京津国道を改修した記念に、昭和7年(1932)に滋賀県知事らによって建てられたものなのです。

ちなみに番組内で最初の東海道線の話が出てきましたが、最初の東海道線が通っていた逢坂山トンネルの東の入口と、それにいたる鉄橋のイギリス積みレンガの橋台も長安寺のそばにあります。

逢坂山トンネル 東側の入口
トンネルへと向かう鉄橋のレンガ製橋台

逢坂山トンネルの西側の入口は、消滅してしまったそうです。

ところで、番組では触れていませんでしたが、逢坂山の頂上にある「逢坂山関所跡」の碑のある道は東海道です。当舎ではここを歩いて大津から山科、そして京都へと向かいます。

京都へ向かう逢坂山の道

この頂上には江戸時代に大津の米屋が設置した常夜灯があります。

逢坂山の常夜灯
台座に溝?

この常夜灯、台座を見ると石に溝が・・・

→つづく

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)