東海道は江戸時代初めに幕府が整備する以前から、日本の最主要街道としてもっとも使われた道でした。 古くは日本武尊から明治時代初期の明治天皇行幸まで、多くの人たちがここを通り、周辺で生き、歴史を築いてきました。 そしてその道は、今も東京から京都まで続いているのです。
この東海道を歩き、その文化財的価値のすばらしさを確かめてみましょう!
東海道とは?
近世の最主要道路、東海道
関ヶ原の合戦で勝利を収めて天下を掌握した徳川家康は、翌慶長6年(1601年)に江戸から京都までの間に伝馬制度を設けました。
徳川家公用の旅行者に、荷物運びのための人足と馬の供出を土地土地の有力者に命じたのですが、これが東海道の始まりと言われています。
伝馬を命じられた村が宿場となり、当初は42程度だった宿場も後には53にまで増えました。
江戸から京都へ行く間、53箇所で人馬の継立てを行ったことから、「東海道五十三次」という言葉が生まれました。これが幕府公認の東海道の成立です。
古来からの、歴史の道・歴史の舞台
しかし、江戸時代以前から東海道のもととなった道はありました。 古くは古事記に書かれた日本武尊の東征伝説でも、後の東海道に近い道が出てきますし、平安時代、鎌倉時代の紀行文などにも東海道が出てきます。 このように東海道は、日本でもっとも古くもっとも多くの人たちが通った道なのです。
たくさんの人が通った道ですから、そこではたくさんの事件が起きています。 日本武尊が焼き討ちに遭ったり、平将門の首実検が行われたり、源頼朝の死のきっかけとなった落馬をしたのも全て東海道沿いですし、足利尊氏が鎌倉を攻略時の進軍も、北条早雲の小田原攻めも、徳川家康が生まれて、人質に取られて、桶狭間合戦が起きて、遠江、駿河と領地を広げて、幕府を開いて、その後死んだのも全て東海道沿いです。 松尾芭蕉が最も多く通った道も、江戸を攻めるために西郷隆盛が新政府軍を率いて通ったのも、その途中で勝海舟と会見して江戸総攻撃をとりやめたのも、すべて東海道の出来事です。
主だったものを挙げただけでもこれだけあります。 細かいものを挙げれば、それこそ切りがありません。 こんなにたくさんの出来事があり、事件が起こった東海道ですから、歩いて面白くないはずがありません。 日本の歴史から地方の歴史まで、たくさんの史跡と様々な見どころがある道、それが東海道なのです。
東海道のデータ
東海道の距離 | |
江戸時代前期の認識 | 120里 |
江戸時代後期の調査結果 | 126里6町1間(約492km) |
インターネットサイト「キョリ測」で計測した結果 | 約533km |
宿場の数 | 江戸~京都 53 枝分かれした大阪への道を含めると57 |
設置された一里塚の数 | 110 |
江戸時代の成人男子の標準的な旅行日数 | 14日 |