天明4年(1784)3月24日、江戸城本丸御殿内において、若年寄田沼意知が新番士佐野政言に斬りつけられて重傷を負う事件が起こりました。
この事件で傷を負った意知は、自宅である父親の田沼意次の屋敷において療養していましたが、8日後に死亡しました。
田沼意知は老中田沼意次の息子、若年寄は現在の閣僚級の幕府の役職です。
一方で佐野政言(善左衛門)は江戸城内の警備を担当する新番組に所属し、組頭蜷川相模守配下の旗本でした。
「営中刃傷記」にこの事件の詳しい記述があります。
田沼意知刺傷事件について書かれるときには、ほぼこれが引用・参照されるくらいの書物なのですが、残念ながら書いた人も書いた経緯もわかりません。
かなり詳しい内容が書かれていて、もしその内容が本当だったらその場にいた人が書いたか、あるいは取材を受けて書かれたものと考えられます。
この「営中刃傷記」には寛永4年(1627)から文政6年(1823)までの江戸城内(柳営中)で起きた刃傷事件について書かれています。
元禄14年(1701)の松の廊下事件も書かれています。
誰が書いたのかの手がかりになりそうなのは松の廊下事件の記述でして、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた江戸城内の刃傷事件よりも、大石内蔵助たち47人が吉良邸に討ち入って上野介を討ち取った、江戸城内ではない事件の方が、数倍にわたる文字数で書かれていることです。
庶民がより興味をもちそうな吉良邸討ち入り事件の方が大きく取り上げられていることから、「営中刃傷記」は幕府内の記録ではなく、外部の、おそらく町方が江戸城内の事件を面白がって書いたものではないかと推定することも可能です。
さて、「営中刃傷記」の中の「新衛佐野善左衛門参政田沼山城守を討果候一件」には、事件の様子がこのように書かれています。
以下要約、( )内は私が付け足しました。
天明4年(1784)3月24日昼9つ(正午)ころ、老中が退出した後に若年寄が太田備後(資愛・掛川藩主)、田沼山城(意知・部屋住)、酒井岩見(忠休・出羽松山藩主)、米倉丹後(昌晴・六浦藩主)の順で連れ立って退出した。
そのとき新番所には新番士が5人並んでおり、そのうち桔梗の間の方から数えて2人目が佐野善左衛門(政言)だった。
善左衛門は若年寄たちが来ると走り出て「山城殿、覚えあるべし」と声をかけ、三度声をかけたともいうが、中の間との境で切りつけた。
初太刀で山城の肩先に長さ3寸(約9センチ)、深さ7分(約2センチ)の傷を負わせ、山城は桔梗の間の方へ逃げた。
廊下まで逃げたところで山城が転倒し、そこへ追ってきた善左衛門が腹を突こうとしたが、刀は(意知の)股に刺さり、3寸5分(約11センチ・長さか深さか不明)の骨に達する傷を負わせた。股は左右両方に傷を負わせた。
山城は体がしびれて(自由が利かなくなった?)新番所の方の廊下の暗がりまで逃げたところで倒れ込み、善左衛門は山城を見失って中の間まで戻ったところ、大目付松平対馬守が詰所から走ってきて佐野を後ろから抱きついて取り押さえ、「お目付衆!」と叫ぶと、すぐに目付の末吉善左衛門、政部大膳、柳生主膳正が走り出てきた。
善左衛門は刀を主膳正に差しだし、大勢の者が善左衛門に駆けよってきた。
末吉善左衛門らが躑躅の間へ佐野善左衛門を連れていき、その後佐野善左衛門は蘇鉄の間に移され、ここへ町奉行曲淵甲斐守(景漸)が差し向けた同心たちによって(小伝馬町牢屋敷の)揚座敷に入れられた。
山城は下部屋へ運ばれ、御番医師の峯岸春庵が出した薬と奥医師の多紀安元の薬を服用し、脈を診てから駕籠を使って退出した。
指も切られており、1本が欠落していた。
以上が「営中刃傷記」に記された事件の状況です。
それでは次に、江戸城本丸御殿の見取図を見ながら、この事件を追ってみましょう。
→つづく
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典】国立国会図書館デジタルコレクション
最新のブログ記事
- 粟ヶ岳 小夜中山峠から見える「茶」と書かれた山東海道の金谷宿から日坂宿の間にある小夜中山峠から、「茶」と書かれた山が見えます。小夜中山峠の北にある粟ヶ岳なのですが、ここには地獄に落ちる伝説があるのです。
- ふたつの夜泣石 小夜中山峠の名物石の謎小夜中山峠には夜泣石の伝説があります。夜泣石がある場所は峠にある久延寺。でも国道1号線沿いにも同じ「夜泣石」があるのです。
- 本宿の代官屋敷 柴田勝家の子孫はどうなった?織田信長の重臣だった柴田勝家は、豊臣秀吉と戦って滅ぼされました。しかしその子孫は徳川家の旗本として存続しています。東海道沿いには柴田家が設けた代官所の建物が残っています。
- 天王洲アイルの石垣 幕末の第四台場跡幕末に築かれた品川台場のうち、未完成に終わった台場があります。この第四台場は、海の埋め立てによって現在は天王洲アイルの一部となっています。
- 御殿山下台場 幕末に築かれた品川の砲台幕末の黒船来航を受けて、幕府は品川沖の江戸湾に台場を建設しました。そのうちの1つ、品川と陸続きだった御殿山下台場の跡を訪れます。
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第3期 藤沢宿~国府津東海道歩き旅第10シリーズ
開催日時
2026年
1月11日 藤沢宿~茅ヶ崎【受付終了】
2月15日 茅ヶ崎~大磯宿【受付終了】
3月15日 大磯宿~国府津
参加費 各回3500円
月に1回、日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根東海道歩き旅第9シリーズ
開催日時
2026年
1月17日 国府津~小田原宿【受付終了】
2月21日 小田原宿~箱根湯本【受付終了】
3月21日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円
月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 京都まであるく東海道 第7期 岡部宿~磐田東海道歩き旅第7シリーズ
開催日時
2026年
1月24~25日 岡部宿~島田宿【受付終了】
2月28~3月1日 島田宿~掛川宿【受付終了】
3月28~29日 掛川宿~磐田
参加費 各回5000円
月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道Light 第2期 品川宿~生麦東海道歩き旅第12シリーズ
開催日時
2026年
2月4日 品川宿~大森【受付終了】
3月4日 大森~川崎宿【受付終了】
4月1日 川崎宿~生麦
参加費 各回3000円
月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅。4月までは比較的短い距離をライトに歩きます。 - 日帰りであるく東海道 第2期 生麦~藤沢宿東海道歩き旅第11シリーズ
開催日時
2026年
1月10日 生麦~保土ケ谷宿【受付終了】
3月7日 保土ケ谷宿~戸塚宿【受付終了】
4月4日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円
月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦東海道歩き旅第13シリーズ
開催日時
2026年
1月12日 日本橋~品川宿【受付終了】
3月8日 品川宿~蒲田【受付終了】
4月5日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
月に1回、日帰りで東海道五十三次を歩くイベント。日本橋を新規スタート。

















