嘉永6年6月(1853年。当時の6月は現在の7月)、ペリーに率いられたアメリカの軍艦4隻が浦賀沖に停泊しました。
黒船来航です。
ここから日本の歴史は大きく動き出すこととなります。

江戸湾内に艦を侵入させたりした後、ペリーは幕府に大統領の親書を渡し、1年後の再来航を約して帰って行きました。
浦賀への来航から9日後のことでした。
そこで幕府はこれに備えて、江戸湾に砲台を築きました。
高輪から品川にかけてあった御殿山などを切り崩し、その土で江戸湾に11箇所の人工島を造り、そこに大砲を備え付ける計画を立て、外国船に対策しました。
その人工島が、いまも一部が東京湾に残っている品川台場です。

ところがペリーは約束を破って、翌年2月には日本に戻ってきました。
実はペリーはアメリカに帰ったわけではなく、香港に行ったのです。
香港から急遽日本に引き返してきたため、たった8か月で日本に再び来港したのです。
ペリーの部下である水兵の手紙には、上海に寄港していたロシアのプチャーチン率いる艦隊が日本を目指している情報を得て、ロシアに先んじて日本に行くためにペリーは急ぎ出港したと書いてあります。
約束の期日よりも4か月も早くペリーが戻ってきたものですから、幕府もさぞかし驚いたことでしょう。
台場建設は資金不足もあり、結局11基予定していたもののうち、埋め立てが終わったものは7か所、そして砲台として完成したものはそのうち5基しかありませんでした。

台場は2列にわたって建設されており、外海側に第一台場から第三台場、陸地側に第四台場から第十一台場が造られる予定でした。
このうち完成したのが第一、第二、第三、第五、第六の5基の台場です。
そこで幕府は台場不足を補うため、急遽品川宿と地続きの台場を建設したのです。
それが御殿山下台場です。

台場は民間人の立ち入りができないため四角く描いてある

中央の五角形の部分
御殿山下台場は、その名のとおり御殿山の直下にある品川宿に造られました。
品川宿を流れる目黒川の河口部分には「洲崎」と呼ばれる砂州があり、ここには漁師たちが居住していました。
この砂州の先端部分に、五角形の砲台が築かれたのです。
現在、海は埋め立てにより品川から遠ざかりました。
品川宿に残された海岸線の護岸の石垣が、かつての海岸線の場所を表しています。


海の埋め立てが始まったのは明治30年代、最初に埋め立てられたのは御殿山下台場の周辺でした。
そんなわけで、御殿山下台場の跡とその周囲は。現在では完全に陸地になっています。

朱線で囲まれた部分
跡地の一部は小学校に、他の部分は住宅地になりました。
その名も台場小学校の校門前には、台場の石垣の石と灯台のレプリカが設置してあります。

この灯台は第2台場に設置された、日本で3番目に古い洋式灯台のレプリカです。
本物は明治村に移設されています。

台場の跡地の周囲は道で囲まれていて、一周することができます。


台場の先端に行ってみましょう。
そこには現在、いったい何があるのか?

ここが台場の先端部分です。
五角形の尖っているところにあたります。
台場が建設されたとき、この先端部に立つと海が見え、来航した外国船も望めたはずです。
でも現在は、陸地しか見えません。
外国船の代わりに見えてくるのは「まいばすけっと」の状態です。

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典】
「復刻版金鱗堂尾張屋板江戸切絵図」©こちずライブラリ
国土地理院地図・同旧版地図(明治24年発行品川驛・大正4年発行東京首都南)
「幕末・明治・大正回顧八十年史」
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