箱根湯本から箱根宿へと向かう東海道の坂道がはじまって程ないところに、早雲寺があります。

早雲寺総門
早雲寺本堂 

その名のとおり、北条早雲(本当の名前は伊勢盛時または伊勢宗瑞)の菩提を弔うために、子の氏綱が大永元年(1511)に建立したとされる臨済宗のお寺です。

多くの臨済宗のお寺がそうであるように、このお寺もお庭がきれいです。

早雲寺庭園

この庭を造ったのは、文化人としても名高かった宗瑞の末子の幻庵(長綱)です。

天正18年(1590)、早雲寺は豊臣秀吉の小田原攻めにより、一時秀吉の本陣となりました。
そして石垣山の一夜城ができあがると、秀吉は寺に火を放って本陣を石垣山に移すという非道を行っています。

そのとき秀吉によって一夜城に持ち去られたとされる梵鐘が、早雲寺には残っています。

梵鐘

そのために早雲寺は、江戸時代に狭山藩主となった小田原北条氏の一族の大名たちなどの支援を受けて、江戸時代前期に再建されました。

そんな歴史のある早雲寺、いろいろ見るべきものがあります。

まずは北条五代の墓。伊勢宗瑞からはじまり、北条氏綱、氏康、氏政、氏直の5代の北条氏当主の墓があります。

北条五代の墓

ただし江戸時代前期の寛文12年(1672)に狭山藩主北条氏治によって建てられたものです。
ただ、「再建された」という言い方も散見されますので、豊臣秀吉に焼き払われる前にすでに5代の墓はあったのかもしれません。
いずれにしても、小田原の北条氏の代々5人がここに埋葬されているわけではありません。

昔の人は記念碑的に墓を建てていますので、埋葬した場所ではないのに墓があることが珍しくありません。

例えば早雲寺にある飯尾宗祇の墓。
宗祇は戦国時代の連歌師です。
戦国時代は連歌が武将たちの間で隆興していましたから、宗祇は各所の武将たちに招かれて、その居城や屋敷を訪れていました。
武将たちにしてみれば、宗祇は他国の事情に通じたよい情報源だったのでしょう。

飯尾宗祇の墓

文禄2年(1502)に関東から箱根を越えて駿河に向かおうとしたところ、箱根湯本で没してしまいました。
当時としては驚異的な長寿の82歳でした。
遺体は同行していた弟子たちが運んで、裾野に埋葬されました。
早雲寺にあるものは埋葬されていない墓碑だけです。
秀吉によって早雲寺が焼かれたとき、この墓がどうなっていたのかはよくわかりません。

江戸時代初期のお医者さんのお墓もあります。
今大路道三のお墓です。
将軍徳川秀忠の侍医で、秀忠が上京するときに従っていたのですが、寛永3年(1626)に秀忠正室のお江の方が重病という知らせが届き、秀忠は道三を江戸に向かわせました。

今大路道三の墓

ところが道三は箱根を越えて箱根湯本に着いたところで自分が体調を崩してしまい、病床に伏せっている間にお江の方は没してしまいました。
その4日後には道三自身も箱根湯本で病死してしまいました。

ちなみに江戸に道三堀という水路がありました。
この水路の名前は今大路道三の屋敷がほとりにあったことによります。

御作事方と細川越中守の間の水路が道三堀
復刻版江戸切絵図©こちずライブラリ

ちょっと時代を遡ります。
安土桃山時代に山上宗二という茶人がいました。
歯に衣着せぬ物言いで豊臣秀吉を怒らせて、秀吉からしばらく遠ざかっていました。

これを小田原攻めで早雲寺に滞陣中の秀吉に従っていた師匠の千利休が、2人の間を取り持とうとして宗二を早雲寺に招いたのです。

ところが宗二はここでも秀吉を怒らせてしまいました。

激怒した秀吉によって、宗二の耳と鼻をそぎ落とされてしまいました。
確実と思われるのはここまでですが、宗二はこのあと秀吉に殺されたともいわれ、早雲寺には宗二の追善碑が建てられています。

山上宗二追善碑

もう一つ碑を紹介します。
「遊撃隊戦死士墓」と書かれた碑があります。

遊撃隊戦死士墓

これは戊辰戦争中に脱走した幕府の洋式歩兵部隊遊撃隊と請西藩主の林忠崇とその家臣たちが結成した遊撃隊(幕府の洋式歩兵部隊と同じ名前ですが、別の武装集団です)が、小田原から箱根湯本にかけて小田原藩兵と戦ったときに戦死した隊士たちを供養するため、遊撃隊の中心人物だった人見寧(遊撃隊当時は勝太郎)が建てたものです。

お寺ですので使者を弔う石造物が多いのですが、東海道を歩いているときは是非早雲寺に立ち寄って、この地で過去に何があったのか、思いをめぐらせてはいかがでしょうか。

   

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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