浜松に行ってきました。
その浜松と浜名湖のちょうど中間くらいに、佐鳴湖という小さな湖があります。
この付近は過去には海だったらしく、湖の隣の高台、佐鳴台でが貝塚が発掘されています。蜆塚貝塚と呼ばれています。

それがはるかな昔に隆起して陸地となり、その陸地を流れる昔の天竜川が谷を作り、その谷に土砂が堆積して水を堰き止めたのが佐鳴湖となったそうです。

一時は水質の悪化が問題となりましたが、現在はかなり改善が進んでいるようです。

いまでは湖岸に遊歩道も設けられ、人々の憩いの場ともなっています。

ところでこの佐鳴湖の畔では、戦国時代の天正7年(1579)に築山殿殺害事件が起こっています。
築山殿は徳川家康の正妻だった女性です。ドラマなどでは「瀬名」という名前で登場することが、最近は多くなりました。
今年の大河ドラマの「どうする家康」では有村架純さんが演じていました。
この築山殿は、武田勝頼と内通したという疑いをかけられ、家康に釈明しようと船でやってきて佐鳴湖から上陸したところ、家康が差し向けた家臣たちによって殺害されてしまいました。
この事件、わからないところが多いです。旧来の説では織田信長の命によって家康が家臣に殺害させたといわれていましたが、最近では家康が殺害を決め、信長の許可を得て実行したという説が有力なようです。
それに内通といったって、そもそも築山殿がどういう人物だったのかよくわかりません。
→築山殿って、いったい誰なの?
このとき築山殿は「小薮」と呼ばれる場所で上陸したそうです。
現在、佐鳴湖のボート乗り場がある付近が、かつての小薮です。

近くには、地元の人たちが手作りしたらしい「築山御前上陸終焉地」という幟が立っています。

殺害された築山殿の首は安土に運ばれ、織田信長が実見したともいわれています。その後岡崎に運ばれ、まず祐伝寺に埋葬され、その後八柱神社に改葬されたといわれています。


築山殿の胴体の方は、佐鳴湖と浜松城のちょうど中間くらいにある再来院に埋葬されたそうです。
再来院には月窟廟と呼ばれている、築山殿のお墓があります。


※西来院は午後4時閉門ですので、参拝に行かれる際は時間に気をつけてください。
築山殿が日ごろ大切にしていた仏像、つまり念持仏は、佐鳴湖の南の東海道沿いに安置され、そこが現在の高塚地蔵院とされています。

というわけで、当舎の東海道を歩くイベント「京都まであるく東海道」では、高塚地蔵院についたときに築山殿のお話をしているのです。
築山殿の埋葬地などの話は以前のブログにも書いております。
ところで、築山殿が殺された小薮ですが、現在では浜松市中区富塚町となっています。

この富塚という地名、「富」という字が使われていて、なんだかとても縁起がよさそう、おめでたそうな地名です。
日本全国にある地名ですし、「富本」とかよく似た地名もたくさんあります。
でもこの「富塚」という地名、佐鳴湖のほとりでは築山殿が殺害された場所です。同じように「富塚」には人が死んだ伝承が残っている場所が多いのです。
ぜんぜん縁起がいい地名じゃないんです!
→つづく
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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