東海道を日本橋から32番目に新居宿は、本陣3軒がある場所でL字に曲がっています。
このL字の内側にこんもりと木が茂っているところがあります。
ここが源太山です。
かつての源太山はもっと大きかったそうなのですが、鉄道が通り新たに町が広がったときの浜名湖の埋め立てによって山が削られ、現在は小さな山になったということです。
この源太山に神社があります。
湊神社です。
名前の由来は新居宿が、漁港、商業港、今切の渡しの渡船場という3つの湊の機能を有していたことです。
この神社の社殿前に、1対の石灯籠があります。
なんと江戸から奉納されたものです。
竿に書かれた文字を読むと、
江戸尾張町
嶋田店中
世話人
宰領 新七
同 文吉
當所定宿
中山屋孫治郎
取次
と書かれています。
江戸尾張町とは、現在の銀座5丁目と6丁目の中央通り沿いのことです。
中央通りとは江戸時代の東海道ですから、東海道を約300キロ東に行ったところから奉納された灯籠ということになります。
奉納した人は尾張町の嶋田店の人々。
この場合の「店」(たな)はおそらく長屋のことを意味します。
長屋や多くの場合、長屋の所有者である家主の名前を冠して「○○店」と呼ばれます。
この場合、家主が嶋田という人なのでしょう。
嶋田店が長屋と考えられる理由は他にもあり、「世話人 宰領 新七 同 文吉」と書いてあります。
宰領とは、取り仕切りをする人のことで、長屋の大家のことも宰領という言い方もしました。
宰領がいるということは、「嶋田店」が長屋であった可能性が高まります。
ちなみに現在では、家主と大家は「貸家の所有者」という同じ意味で使いますが、当時は長屋の管理人が大家で、長屋の所有者のことを家主とよんでおりました。
つまりは家主と大家は別の人です。
今の銀座にあった尾張町の長屋の住人たちが、大家だった新七と文吉が話をまとめて湊神社に灯籠を奉納したわけです。
この灯籠の奉納について、湊神社と新七・文吉の間を取り次いだのが、彼ら2人が定宿にしていた中山屋です。
中山屋は新居宿の旅籠で、新居関所の並びにありました。
灯籠に書かれている内容で、そこまではわかりました。
それではなぜ江戸の尾張町の住人が、新居宿の神社に灯籠を奉納したのでしょうか?
その理由については、新居関所資料館で興味深い情報を教わりました。
新居宿からは江戸の店に奉公に出てそのまま江戸に住み着いてしまった人が何人もいるそうなのです。
それら江戸に住んだ人々から、湊神社には神輿が奉納されているのだそうです。
するとこの灯籠も、同じように江戸に住んでいる新居宿出身者が奉納した可能性があります。
それでは尾張町の嶋田店とはどこにあったのでしょうか?
それについては、このような浮世絵があります。
この絵に描かれているのは尾張町1丁目にあった呉服店の恵比寿屋です。
江戸時代には日本橋の越後屋(三越)、白木屋と並んで江戸三大呉服店と呼ばれていました。
もとは京都の呉服商だったのですが、江戸と大阪にも出店して隆盛を誇りました。
しかし明治8年(1875)に破産して、松坂屋に買収されています。
この恵比寿屋を経営していたのが嶋田八郎左衛門なのです。
このことから尾張町の嶋田店は、この嶋田八郎左衛門が恵比寿屋呉服店の裏に設けていた長屋と考えられます。
ここからは想像ですが、湊神社に灯籠を奉納した新七と文吉は、本人あるいは先祖が新居宿出身で恵比寿屋に奉公に出て、その裏の長屋に住んでいたのでしょう。
灯籠に「嶋田店中」とあることから、縁故を頼って新居出身者が嶋田店に次々と住むようになり、彼らをとりまとめて灯籠の奉納を思い立ったのが、嶋田店の大家になっていた新七と文吉なのではないでしょうか。
この嶋田店と恵比寿屋の跡地は現在の銀座5丁目、今はメルサが建っている場所にあたります。
約300キロも離れているものの、それぞれ東海道沿いにある銀座と新居宿が、このようにつながりました。
遠く離れていても故郷を懐かしみ、旧地の神社への信仰を忘れない当時の人々のこころを、石灯籠の文字から読み取ることができるのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【取材協力】
新居関所資料館
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