二宮町の町名の由来は、相模国の二の宮である川匂神社があることです。
川匂神社の参道入口は、東海道の梅沢の立場にありました。
この参道入口に薬師堂があります。
川匂神社の薬師堂だったのですが、江戸時代までは仏教と神道は一緒くたに信仰されていましたので、神社の参道に仏堂があってもなんの不思議もありません。
この薬師堂、立場にあったせいか「茶屋の薬師堂」と呼ばれています。
御堂の中には明治初期の神仏分離によって川匂神社から運ばれてきた薬師如来が安置されています。
安置されている薬師如来坐像は高さが261センチもあり、大仏といっていい大きさです。
御堂のガラス越しに見ることができます。
薬師堂の前にはたくさんのお地蔵さんの石像が置かれています。
どう見ても6体ではありませんが、「六地蔵」と呼ばれています。
この六地蔵、夜になると歩くという伝説があるのです。
詳細はこうです。
薬師堂のお祭りのとき、寄進が少なかった村人がいると、夜の間に地蔵が歩いてその村人の家の入口前に立つというのです!
朝起きで戸を開けると、目の前にお地蔵さんがいるので村人はびっくりです!
ビビって寄進を追加して奉納してしまいます。
取り立て屋か?!
石地蔵が自分で歩くはずがありませんので、もし本当に村人の家の前に立っていたのだとしたら、誰かが「寄進をもっと出せや!」と嫌がらせで運んだとしか思えません。
ユーモラスというのか、ムラ社会はコワいというのか、なんとも評価が難しい伝説が薬師堂には残っています。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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月に1回、日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根東海道歩き旅第9シリーズ
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2月21日 小田原宿~箱根湯本【受付終了】
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月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 京都まであるく東海道 第7期 岡部宿~磐田東海道歩き旅第7シリーズ
開催日時
2026年
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月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道Light 第2期 品川宿~生麦東海道歩き旅第12シリーズ
開催日時
2026年
2月4日 品川宿~大森【受付終了】
3月4日 大森~川崎宿【受付終了】
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参加費 各回3000円
月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅。4月までは比較的短い距離をライトに歩きます。 - 日帰りであるく東海道 第2期 生麦~藤沢宿東海道歩き旅第11シリーズ
開催日時
2026年
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月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦東海道歩き旅第13シリーズ
開催日時
2026年
1月12日 日本橋~品川宿【受付終了】
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参加費 各回3500円
月に1回、日帰りで東海道五十三次を歩くイベント。日本橋を新規スタート。
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