2024.8.18
「生麦と言えば生麦事件」
東海道を歩いたことがある人たちも、生麦の見どころについてはこう思っていることが多いと思います。
でも立場であると同時に海沿いの漁村でもあった生麦には、それゆえの特有の伝説や言い伝えがたくさんあるのです。
それらのバイタリティーの豊かさといったら、生麦事件なんかどうでもよくなってしまうほどです。
今回はそんな生麦の伝説についてお話しします。
子育地蔵
JR鶴見線の高架をくぐってしばらくすると、右手に慶岸寺があります。
その門前に地蔵堂があり、等身大くらいの大きなお地蔵様が安置してあります。
このお地蔵様は漁師が子供の病気治癒をお祈りしたら治ったという言い伝えがあり、子育地蔵と呼ばれています。
そんなお地蔵様なのですが、江戸の生まれだといわれています。
江戸の四ッ谷に鮫ヶ橋という土地があり、そこの住人の夢にお地蔵様が現れて、「私の像を造って相模国に安置せよ」と告げたのだそうです。
そこで鮫ヶ橋の人は地蔵像を造り、お地蔵様を乗せた車を引いて生麦まできたところ、車が動かなくなってしまいました。
押しても引いても動かず、疲れた鮫ヶ橋の人がうたた寝をすると、またしても夢にお地蔵様が現れ「ここがいい。ここに安置せよ」と告げたのだそうです。
目を覚ました鮫ヶ橋の人が慶岸寺の住職にこのことを告げると、なんと住職も同じ夢を見たというではありませんか!
かくしてお地蔵様は慶岸寺の前に建てた地蔵堂に安置されたということです。
塩待ち稲荷
慶岸寺の隣にあるお稲荷さんです。
本当の名称は冬木森稲荷。
江戸時代の半ばくらいまでは、もっと海の近くにあったそうです。
引き潮で漁に出られないとき、漁師たちがこの神社に集まって潮が満ちるまで時間を潰したと伝わっています。
博打にでも興じていたのでしょうか?
熊茶屋と白熊神社
生麦は漁村であると同時に立場でした。
今も鮮魚店が多いのですが、むかしは茶屋も並んでいたのです。
江戸時代後期、それらの茶屋の中に客寄せのためにクマを飼っている店が2軒ありました。
1軒のクマが黒い普通のクマ、もう1軒はアルビノの白いクマを飼っていました。
シーボルトの日記に神奈川から川崎の間で黒いクマを見たという記述がありますが、これが生麦で飼われていたクマだといわれています。
やがて黒いクマは老衰で死んでしまいました。
先ほどの慶岸寺にクマを飼っていた店「熊茶屋」のお墓があります。
もう1匹の白いクマはもう少し長く生きていたのですが、文政12年(1829)に突然暴れ出して手がつけられなくなり、危険と判断した村人たちに殴り殺されてしまいました。
飼い主は死んだ白いクマを哀れんで、供養のために石碑を建てました。
それが白熊神社です。
もともとは白いクマを飼っていた茶屋の裏手、現在は魚屋さんの裏にあたる場所にあったのですが、最近先述の慶岸寺境内に移設されました。
小石様
明治の終わりころといいますから、すでに電車も走っているし、そんなに古い話じゃありません。
ある日浜辺で漁師の兄弟が貝を拾っていました。
ふと気がつくと、弟の魚籠に小石が入っています。
弟はこれをとって浜辺に捨てました。
ところがしばらくすると、また小石が入っています。
弟はもう一度小石を取って捨てました。
また気づくと、小石が入っています。
どうもよく見ると、2回にわたって捨てた小石そのもののようです。
弟は気味が悪くなって、小石を捨てて兄とともにいえに逃げ帰りました。
ところがその日のうちに弟が高熱を出してうなされるようになりました。
そして言うには「わしはさっきの小石じゃ。拾ってきて神として祀れ」と。
兄はこれを聞いて浜辺に行くと、小石を拾ってきて祠を建てて祀りました。
それが小石様と呼ばれる小さな祠だというのです。
浜辺で捨てた石を探し出せるところもすごいですが、明治の終わりの話といい、いろいろ不思議な伝説です。
亀地蔵
最後は亀地蔵の話です。
昔の漁村には、大きな亀が浜に上がったら、その亀を交えて宴会をすると豊漁になるという言い伝えがありました。
生麦でも大きな亀が浜に上がってきたので、漁民たちが宴会を開いて、亀にもお酒を飲ませたそうです。
するとなんとしたことか、翌日には亀は死んでいました。
「これは昨日がちょうど亀の寿命の1万年目だったにちがいない」
村人たちはこう言い合うと亀のために墓を建てました。
それが正泉寺に今もある「亀地像」と呼ばれる石塔です。
石塔には「亀之塔」と書いてあるだけですが、なぜか「亀地像」と呼ばれています。
それぞれいろいろ考えさせられる話ですが、これらはみんな漁村で立場だった生麦の生活を反映したものといえるんですね。
意味を読み解くことができたら、いままで気づいていなかった面白いことがわかると思います。
これらの伝説はガイドブックにも載っていないことが多いし、人家の敷地内にあってわかりにくいものも多く、知っている人と歩かなければなかなかわからないものですが、知ってしまうとなんだか引き込まれてしまいます。
生麦にはこの他にも「蛇も蚊も」なんて奇祭とそれにまつわる伝説があるのですが、こちらはまた別の機会に。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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