2024.9.12
戸塚宿は東海道で日本橋から数えて5番目の宿場です。
戸塚は柏尾川が流れる谷間にあった町でした。
その谷間に東海道が通っていました。
ここに道が通っていたのは江戸幕府による東海道宿場制が制定されると前から、すくなくとも天正19年(1591)の徳川家康の江戸入り後は、主要街道が整備されたと考えられます。
戸塚が宿場となったのは、ほかの宿場から少し遅れた慶長9年(1604)でした。
この年に戸塚の沢辺家(後の本陣)から伝馬の許可を願う書面が幕府に提出され、同年に許可が下りて宿場となったのです。
伝馬とは幕府公用の旅人が通るときにその荷物を無償で運ぶことで、その代償として税の優遇や駄賃稼ぎが幕府から許可されます。
この伝馬を許可された町だけが、幕府公認の宿場なのです。
戸塚では家康の在世時からから東海道で駄賃稼ぎをしていた旨が、上記の沢辺家から提出された伝馬の許可願いには書かれています。
駄賃稼ぎとは街道を通る旅人たちの荷物を人足や馬で運んで運賃収入を得ることです。
伝馬の負担を負わずに駄賃収入だけを得ていることについて、藤沢宿から代官彦坂元正に禁止を求めて抗議が出され、これがきっかけとなって前記の伝馬許可願いが戸塚から提出されて、他の宿場よりも遅れて同年に戸塚は東海道の宿場に加えられたのです。
こうして成立した戸塚宿でしたが、その285年後の明治22年(1889)に鉄道駅ができました。
駅ができた場所は宿場のど真ん中。
ちょうどもう1軒の本陣、内田本陣の前辺りです。
駅の横では線路が東海道を横切って、踏切となっていました。
このように宿場に密着して官営鉄道の駅が造られたことは、東海道では非常にめずらしいです。
おそらく狭い谷間なので、宿場近くにしか駅を造れなかったのでしょう。
ところが自動車の需要が増えたことで、この踏切は東海道が元になった国道1号の慢性的な渋滞を招くこととなりました。
この渋滞にキレちゃった人がいます。
戦後20年代に7年あまり内閣総理大臣を務めた吉田茂です。
大磯から自動車通勤で首相官邸や国会に通っていた吉田茂は、戸塚宿付近で毎回のように渋滞に巻き込まれたことにより、バイパスの建設を指示したといわれています。
そこで昭和30年(1950)に開通したのが戸塚道路です。
現在の国道1号バイパスです。
当初は有料道路でした。
こうした経緯でできた道路ですので、国道1号バイパスは「ワンマン宰相」と呼ばれていた吉田茂にちなみ「ワンマン道路」と呼ばれるようになりました。
だから戸塚宿の和菓子店吉田屋本店で売られている「ワンマン道もなか」は自動車のタイヤの形をしています。
しかし戸塚駅横の踏切が原因の渋滞が、完全に解消されたわけではありませんでした。
国鉄もJRも時代とともにダイヤが過密化し、一方で自動車の通行量も増大し、戸塚駅横の踏切は「大踏切」の通称とともに「開かずの踏切」として知られるようになりました。
この渋滞問題が大きく変化したのは、平成も後半になってからです。
踏切に替わって、歩行者用の立体橋と自動車用のアンダーパスの建設が始まったのです。
歩行者用立体橋は、平成26年(2014)に開通しました。
公募により、名前は「戸塚大踏切デッキ」となりました。
大踏切デッキは、時期を同じくして進行していた戸塚駅前の再開発によって建てられたショッピングセンターや市役所の施設を含むビル群とも接続しており、歩行者が信号待ちをすることなく行き来することができるようになりました。
さらには翌平成27年にはアンダーパスが開通しました。
これにより自動車も踏切を通ることなく線路を越えられるようになりました。
大踏切デッキとアンダーパスの完成により126年にわたって使われてきた大踏切は役割を終えました。
平成27年3月25日、午後3時のアンダーパスの開通にひきつづいて、午後4時に大踏切が閉鎖されました。
踏切のためにいろいろ困ったことも多かったはずですが、それでも慣れ親しんできた地元の人たちは別れを惜しんで、踏切の最後の通行を見守りました。
踏切跡に設置された説明板には、そのときの写真が掲載されています。
踏切閉鎖の瞬間には「蛍の光」が流れる中カウントダウンが行われ、「ありがとう!」の声とともに拍手に包まれました。
現在の大踏切デッキの真下です。
ここがかつて踏切のあった場所です。
踏切のアスファルトの一部が今も残っています。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典】
国立国会図書館デジタルコレクション
国立国会図書館「近代日本人の肖像」
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