今年の大河ドラマ「べらぼう」が1月5日から始まりました。
その初回では若き日の蔦屋重三郎が吉原でも下層の遊女たちの悲惨な生活を救うため、老中の田沼意次に直接請願するシーンがありました。

岡場所や宿場の遊女の取り締まりを願う重三郎に対して意次は「宿場が潰れれば(中略)つまり国益を逸することになる」と言って諭します。
それでは田沼意次が守ろうとした宿場本来の機能とは何なのでしょう?

宿場なのだから、本来の機能は旅人の宿泊では?

岡部宿に残る旅籠の建物

そう思いたくなるところです。

ドラマの中では「もし1つでも宿場が潰れたらどうなると思う?」という意次の問いに、重三郎が「旅が大変になり、商いの機会が減りましょうか」と答えていました。
この答えのとおりです。
旅人たちは物見遊山ばかりではありません。
むしろ江戸時代は商売のために旅をする人たちが多かったことでしょう。
旅に支障が出れば商いの機会が減る、つまり国の経済が滞ることになれば国益を損なうでしょう。

たしかにドラマのセリフのとおりなのですが、でもちょっと説明不足なところがあります。
おそらく余計な説明をして視聴者が混乱しないように、こういうセリフにしたのではないでしょうか。

東海道は慶長6年(1601)に江戸幕府によって宿場制が施行されました。
江戸と京都との間にある46の東海道の町や村に対して伝馬朱印状と伝馬定書と呼ばれる2通の書面が交付され、江戸幕府が管轄する東海道の宿場が成立しました。

伝馬朱印状
東海道関宿の展示より

その後大津と大坂(現大阪)の間にある4つの町が元和5年(1619)に宿場に指定されるなどし、最後は庄野宿が寛永元年(1624)に指定されて、江戸と京都の間の53の宿場、江戸から大坂までで数えれば57の宿場が出そろったのです。

最終的に大坂まで宿場制を布いたことで、江戸幕府は江戸から大坂へとつなぐ道として東海道を整備したという説がありますが、私はこの説を採ることに慎重です。
なぜなら幕府が元和元年の戦争で荒廃していた大坂へ、江戸から最主要街道を通す納得できる理由を私は知らないからです。

それに対して東海道の行き先は京都であることを幕府が重視していたと考える理由はあります。

天和年間(1681~1684)に幕府によって製作されたと考えられている、現存する最古の東海道の絵図があります。
「東海道絵図」です。
この絵図では、日本橋が起点ではありません。
終着点も三条大橋ではありません。

東海道の始点は江戸城大手門
東海道の終点は二条城

始点は江戸城大手門、終点は二条城なのです。

つまり、東海道は江戸幕府が朝廷に向けて送った使者が、幕府の京都での出先機関である二条城に到着できるように整備されたものなのです。

そして東海道に設けられた宿場のもっとも重要な機能は何かというと、それは荷物を運ぶこと、つまり流通なのです。

「宿場」をちがう言葉に言い換えると「駅」となります。
だから品川宿や川崎宿のことを品川駅、川崎駅という言い方もしていました。
鉄道の停車場に「駅」という字を当てるようになってから「駅」の意味は現在のように変容しましたが、もともと「駅」とは馬を用意した場所のことです。

歌川広重「東海道五拾三次之内 藤枝人馬継立」
人足と馬が荷物を運び始めようとする様子

江戸時代の宿場では、荷物運びの人足36人と馬36匹、のちには100人と100匹用意することを幕府から諸課税の免除を条件に命じられています。

その目的は、幕府が朝廷への使者を送るときに、その荷物を運ぶことなのです。

相手は朝廷ですから、幕府も手ぶらの使者など送りません。
天皇をはじめとして、朝廷の大臣たちや摂関家に対する多量の贈り物をもって、使者は京都に向かったのです。
そのための荷物運びの人と馬を用意する、これが幕府による東海道宿場制の目的だったのです。

幕府公認の使者が使用しないときは、大名たちのほか商用などで旅する人々なども、これらの人や馬を荷物の運搬に利用することが許されていました。

歌川広重「東海道五拾三次之内 吉原左富士」
人や荷物を運ぶ人足と馬

だから宿場が衰退すると、幕府は朝廷に使者を送るのにも困ることになります。
そればかりか商用での荷物運送に利用することもできなくなり、国の経済が滞ることになりかねません。
そこで幕府は、本来だったら吉原のような公認の遊廓にしか許されていなかったにもかかわらず、「飯盛女」という名目で宿場に遊女を置くことを黙認し、宿場の経済力を維持させて流通という本来の機能を守ろうとしたのです。

ドラマの中では見ている人たちにわかりやすく「旅が大変になり商いの機会が減る」と言っていましたが、宿場の本来にして最大の目的は「流通」だったのです。

 

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

【画像出典】国立国会図書館デジタルコレクション

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