令和5年の大河ドラマは「どうする家康」、主人公は40年ぶりとなる徳川家康です。

ドラマはあくまで作り話です。大河ドラマも歴史を題材にした作り話です。史実だけに則った歴史ドキュメントみたいなドラマだったら書籍を読んだ方がいいので、私はドラマには創作的要素に期待しています。

その点「どうする家康」は脚色の要素が大きく、「そう来たか!」と思いながらドラマを楽しんでいます。

第3回はインターネット上で「地獄回」と呼ばれています。

松本潤さん演じる松平元康が、涙ながらに今川を裏切る様子が描かれました。

叔父の水野信元(演:寺島進さん)と母の於大(演:松嶋菜々子さん)は、今川よりも織田信長(演:岡田准一さん)に将来性を見いだし、家の生き残りのため、家臣たちの安寧のために今川を裏切り織田に付くように元康を説き伏せます。

これに屈した元康は、盟友であった吉良義昭(演:矢島健一さん)の東条城を水野信元とともに襲撃するのです。

燃え上がる東条城を見ながら、涙を流す元康。

恩人である今川義元(演:野村萬斎さん)と駿府で共に育った今川氏真(演:溝端淳平さん)を裏切ったこと、駿府に残してきた妻子を見捨てたこと、さまざまな思いがこの涙となって表れたのでしょう。

戦国の世は非情です。

「松平元康裏切る」の報を受けた今川氏真は、最初は信じられないように呆然とするものの、駿府で人質として元康の妻瀬名(演:有村架純さん)の侍女を務めていた松平家家臣の妻女たちを殺害します。

瀬名の叫び声で第3回は終了します。

この侍女たちの殺害については脚色です。

あまりに脚色が大胆すぎて、最初はなんのことやらわからなかったのですが、モデルになった事件には思い当たることがありました。

それは吉田城下で起こった、東三河の豪族たちの人質10名以上が殺害されたとする事件です。殺害された人数については、13人説のほかに、11人説、14人説などもあります。

今川義元は、家康の父松平広忠の死後、三河に兵を進めて吉田城を拠点に三河の平定に乗り出します。その過程で今川氏に従った東三河の国衆たちは、妻や子を今川への人質に差し出し、彼女たちは吉田城に住まわされました。

吉田城の鉄櫓 江戸時代のものを再建

永禄3年(1560)の桶狭間合戦で今川義元が戦死すると、国衆たちに動揺が走ります。西三河では松平元康が家康と名を変え、今川に対して反旗を翻し、西三河の国衆たちを味方に付けると、東三河侵攻を開始しました。

そのとき吉田城には、今川の城代として小原鎮実がいました。彼は東三河の国衆たちの離反を食い止めようと、見せしめとして人質の女性や子供13人を殺害したのです。おそらく、家康との内通を疑われた国衆の家族が殺害されたものと思われます。

場所は吉田城下にある竜拈寺の山門前、あるいは吉田城の竜拈寺口だとされています。ここで13人は磔に処されたともいわれています。

竜拈寺山門 江戸時代のもの

さらに形原松平氏の子息は、海に面している形原城から見える海上に船で連れて行かれ、城内から見えるところで斬殺されたと伝えられています。

このとき殺害された13人は、竜拈寺の飛び地境内だった場所に埋葬されたと伝わります。それが現在の豊橋市富本町にある十三本塚です。

そこには13人を弔うためと伝わる石塔があります。

十三本塚の供養塔とされる石塔

書いてある文字が「奉納大乗妙法」で、その下は文字が判然としないのですが、「右○○ 左○○」と書いてあるのでおそらく道標でしょう。

「奉納大乗妙法」とは、妙法蓮華経を奉納したという意味ですので、日蓮宗との関わりが考えられます。文字だけ読むと13人の人質殺害のことは書かれていません。

この結果は今川が思ったようには進みませんでした。

東三河の国衆たちの間で、人質を殺害した今川に対する信頼は失われ、かえって離反が相次いだのです。

結局、吉田城は永禄8年(1565)に家康に包囲されて、力尽きた小原鎮実は城を明け渡して遠江に退去することとなります。

「どうする家康」第3回のラストシーンは脚色によるものと考えられます。
ここに記したような吉田城で起こった悲劇が、そのモデルとされているのでしょう。

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)