今回は、「上を向いて歩こう!」という話です。

東海道を歩いたことがある人なら、赤坂宿にある江戸時代後期に建てられた旧旅籠の赤坂屋は、誰もがご存知のことと思います。ここを見学されたみなさまも多いでしょうし、まだ旅館業を営業していたころには宿泊されたという方もいらっしゃるでしょう。

東海道赤坂宿 旧旅籠大橋屋

大橋屋の建物は最後の所有者から豊川市が寄贈を受け、平成30年から一般公開されています。
平成20年ころまで旅館として経営しており、実際に泊まることもできました。これがその頃の写真。

旅館時代の大橋屋

公開するにあたっては、江戸時代に旅籠を営んでいた当時の姿に復元する工事が行われています。そのため平成に旅館だったころとは少し見た目が異なります。

工事中の大橋屋

内部の様子はこんな感じ。

まだ旅館だったころ、梁の上に俵がいくつも置かれていました。かなり高いところにあるので取ることができず、旅館の人に聞いても「なんであるのかわからない。中身もわからない」ということでした。

梁の上の“謎の俵”

ところが復元工事にあたり、全部で6つあったこれらの俵も回収されました。すると中身は1600点にもおよぶ寺社のお札だったのです。このお札は現在大橋屋の館内で、一部が展示されています。

発見された1600点のお札

大橋屋は明治以降、持ち主が3回変わり、料理店や芸者の置屋になっていました。持ち主が変わるたびに使っていた帳面などを廃棄したため、昭和より以前のことがわからないのだそうです。

さて、昭和19年に最後の持ち主が買い取るまで、この店の屋号は「大橋屋」ではなく「鯉屋」でした。この年に同じ赤坂宿で仕出屋をしていた人が店を買い取り、料理屋と旅館を始めたのです。このときから「大橋屋」という店名になりました。

それでは「大橋屋」の由来はなんなのか?

実は仕出屋をやっていたとき、隣家の瓦に「大橋屋」と書いてあったので、それを新しい店の名前にしたのだそうです。

その「大橋屋」と書かれた瓦、現存しています。

名電赤坂駅から赤坂宿へと行く道と東海道との交差点、紅里の交差点に床屋さんがありますが、その屋根をみると瓦に「大橋屋」と書いてあるのです。

ちなみに大橋屋の瓦には「山七」と書いてあります。

記録が残っていないので詳しいことはわかりませんが、以前の屋号は「山七」だったと考えられます。

上を向いて歩くと、いろいろな発見があるものです。

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)