東海道8番目の宿場である大磯宿には、日本を代表する俳諧道場「鴫立庵」があります。

平安・鎌倉期の歌人西行が詠んだ歌、

「心なき身にもあわれは知られけり 鴫たつ沢の秋の夕暮れ」

に出てくるのと同じ名前の大磯を流れる小川、鴫立沢のほとりに寛文4年(1664)に小田原の外郎家出身の崇雪が庵を建てて鴫立庵と名付けました。その死後に廃れた庵を俳人大淀三千風が元禄8年(1695)に再興して俳諧道場としたものが、いまも俳諧道場として存続している鴫立庵です。

鴫立庵

大磯宿では萱葺屋根がひときわ目立つ建物です。
江戸時代後期に建てられた建物が、修繕を繰り返しながら今も使われています。

鴫とは水辺に棲んでいるくちばしの長い小形の鳥です。
浜辺で貝を開いていたハマグリを食べようとしたところ、ハマグリが慌てて貝を閉じてしまったためにくちばしを挟まれ、2匹でもがいているところを近くで見ていた漁夫に捕らえしまった「漁夫の利」という慣用句の語源となった鳥です。

鴫立沢の碑
鴫立庵内のもので本物のレプリカ

“歌聖”と呼んでもよい西行は、俗世を捨てた出家です。
鴫が夕陽の中を飛び立つ光景は、俗人の心を捨てた西行にすらも情感をいだかせたのでしょう。
「出家の身でも心を動かされる情景だ」と詠んだ歌が上記の「鴫たつ沢の秋の夕暮れ」なのです。

西行

ところがこの西行をギャグネタにした人物がいます。
江戸時代中期から後期にかけて小伝馬町で旅籠を開いていた糠屋五郎兵衛です。

旅籠の主人とはいっても当時を代表する教養人で、国学者・漢学者としての顔も持ち、学者としての名前が石川雅望でした。
一方で狂歌師としても名が売れていて、狂名は「宿屋飯盛」と名乗っていました。
硬軟併せ持った人物だったんですね。

宿屋飯盛

→宿屋飯盛

大河ドラマ「べらぼう」にも登場します。
なにしろ蔦屋重三郎(蔦重)の墓碑銘を書いたのも宿屋飯盛なのです。

ちなみに蔦重はドラマの中で、妻のおていから陶朱公になぞられられていますが、この話の元ネタは、宿屋飯盛が書いた蔦重の墓碑銘です。

陶朱公とは中国の春秋時代末期の人で、長江下流域にあった越という国の重臣だった范蠡(はんれい)のことです。
「臥薪嘗胆」で知られる越と呉の20年におよぶ報復戦争で、美女を送り込んだり呉の忠臣伍子胥を死に追い込んで呉の力を弱める謀略をめぐらせた人物です。
しかし呉が滅びた後は越を去り、陶朱公と名乗る商人となって巨万の富を築き、それとともに町を栄えさせたと「史記」に記述があります。

范蠡の前半生はけっこう血なまぐさいものでしたので、蔦屋重三郎とはちょっとちがうような気がしますが、ともかく宿屋飯盛こと石川雅望(糠屋五兵衛)は墓碑銘にはそう書いています。

鴫立沢(海の近く)

その宿屋飯盛、夕暮れに鴫が飛び立つ情景に心動かされた西行の歌を

蛤にはしをしっかとはさまれて 鴫たちかぬる秋の夕暮れ

「漁夫の利」の話を持ち出してすっかりギャグにしてしまいました。
西行がもののあわれを覚えた情景もへったくれもあったもんじゃありません。

繰り返しますが、宿屋飯盛(石川雅望)は当代切っての教養人です。
国学者ですから、もちろん和歌についての素養もひとかどならぬものがあったはずです。
それでも西行の歌を洒落のめしちゃう。
それが江戸時代の狂歌師なのです。

鴫立庵の円位堂にある西行像

宿屋飯盛は後に松平定信によって江戸を追放されてしまいます。
訴訟人をそそのかしたという罪状をかぶせられてものですが、もしかしたら和歌の大好きだった松平定信ですから、“俳聖”西行を茶化したことを根に持たれたのかもしれません。

   

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

【画像出典】
西行 「武者かが美」
宿屋飯盛 「古今狂歌袋」
いずれも国立国会図書館デジタルコレクションより

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