2024.8.16
天保14年(1843)ころの調査結果をまとめた「東海道宿村大概帳」から引用した川崎宿のデータです。
人口 2433人(男1080人 女1353人)
戸数 541軒
本陣 新宿町1軒、砂子町1軒
脇本陣 なし
旅籠屋 合計72軒 大9軒 中29軒 小34軒
問屋場 新宿町に1か所
高札場 宿中程
道幅 3間半~5間
川崎宿は東海道53箇所の中で最後に成立した宿場です。
元和9年(1623)に成立したというのが通説です。
根拠は寛永9年(1632)に川崎宿から幕府代官の小泉次大夫に提出された嘆願書です。川崎は宿場になったものの経営が苦しく、その窮状を訴えるために嘆願書が提出されたのです。
その中に「元和9年に宿場になった」旨の記述があり、これが根拠になっています。
それまでは寛永4年説、寛永6年説などがありましたが、今は元和9年説で決着していると考えていいと思います。
元和9年6月に徳川秀忠・家光親子が上洛するとき、伝馬(将軍の荷物運び)を命じられたのが川崎宿の始まりということになりそうです。
ちなみに嘆願書の提出を受けた小泉次大夫は、川崎に六郷用水を築いて町を開いた初代吉次ではなく3代目の吉勝と考えられます。
初代吉次の隠居後に2代目吉明が跡を継いだものの大坂の陣中で没してしまったため、吉次が当主に復帰し、元和5年に吉次が再び隠居して3代吉勝が跡を継いでいるからです。
なお、初代吉次は川崎が宿場になった約半年後の元和9年12月に没しています。
宿場成立当初は久根崎と砂子の2つの町から成り立っていました。
もともと多摩川の近くの砂州にあった集落がもとになったと考えられます。
宿場成立の5年後の寛永4年(1628)に、あらたに新宿と小土呂の2つの町が加わり、川崎宿はこれ以降明治初めの宿場制廃止まで4つの町で成り立っていました。
川崎宿の人口の約2400人というのは、両隣の品川宿の約6800人、神奈川宿の約5700人と比べても半分以下、だいぶ少ないです。
川崎宿ができてから200年以上経過した時点での人口がこのくらいですから、江戸時代の川崎が人が住みたがる場所ではなかったと考えられます。
低地である多摩川の砂州に人工的に造られた町というのが影響しているようです。
現在、川崎宿がある川崎市川崎区の人口は、約23万人です。
これは明治以降に多摩川沿いが工業地帯になり、職があることで人が流入したのがきっかけと考えられます。
本陣は2軒ありました。
新宿町に田中本陣、田中兵庫家が経営し、下の本陣とも呼ばれていました。
敷地が231坪もあり、川崎宿最大の本陣でした。
砂子町にあったのは佐藤本陣、佐藤惣左衛門家が経営しており、上の本陣と呼ばれて敷地が181坪ありました。
この場合の「上」「下」は京都に近い方を「上」と呼んでいますので、本陣の上下関係を表すものではありません。
問屋場のあった場所は、現在セブンイレブンになっています。
この問屋場跡のセブンイレブンは砂子1丁目の交差点の角にありますが、その対面の交差点の角が高札場でした。
掛けられていた高札は天保14年当時で2枚だけと、ちょっと少なめでした。
「東海道宿村大概帳」には東西の入口については記載がありません。
東の入口は六郷の渡し場からはじまっていました。
六郷橋の南詰めの辺りです。
西の入口は小土呂の教安寺の前で、土居が設けられていました。
電信柱の表示があります。
道幅は3間半から5間と書いてありますので、場所によってかなりの差があったようです。
3間半は約6.4メートル、5間は約9メートルです。
「東海道宿村大概帳」に書かれた川崎宿の特徴は、橋が多いことです。
宿場内だけで10か所もの橋が記載されています。
現在、稲毛神社内に置かれている小土呂橋もその1つです。
多摩川の旧流域で川が多かったこと、湿地帯だったので排水の水路があったこと、小泉次大夫が二ヶ領用水を築いたことなどが、橋が多い理由でしょう。
今は目に見えるところに川も橋もありません。
2400人から23万人へ。
川崎宿は大きく発展した宿場町といえるでしょう。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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