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ブラタモリで東海道五十七次 番組製作スタッフと放送をご覧になったみなさまへ
ブラタモリのテーマとして取り上げられた東海道五十七次。番組を作ったスタッフのみなさま、放送をご覧になったみなさまに、お伝えしたいことがあります。
化粧坂 江戸時代以前の宿場と曾我十郎と虎御前の物語
大磯宿の東の入口近くにある緩い坂道が化粧坂です。江戸時代以前はここに大磯宿があったとされています。曾我十郎と虎御前の物語もある坂道を紹介します。
東海道五十七次(2) 大阪へ向かう東海道の「つづき」京街道の成立ち
東海道五十三次のつづきとして、大津宿の先から大阪の高麗橋まであらたに造られた東海道五十七次の道。「京街道」とも呼ばれるこの道の成り立ちについて書きました。
安田靫彦と大磯宿 大磯に住んでいた「飛鳥の春の額田王」や「黄瀬川陣」の画家
明治中期以降の大磯には、多くの著名人が住んでいました。誰もが見たことのある絵を描いた日本画家、安田靫彦も大磯に住んでいた一人でした。
東海道の宿場の成立年 東海道と京街道の五十七次の宿場設置はいつだった?
最終的には江戸から京都までが53次、大阪までが57次となった東海道ですが、同時にすべての宿場が成立したわけではありません。それぞれの宿場ができた年をまとめました。
東海道五十七次(1) 五十三次ならぬ五十七次?京街道とはなに?
東海道には五十三次という言い方の他に、五十七次という言い方があります。どっちが正しいの? そもそも「次」ってなに? これらの答えを書きました。
善福寺 ボコボコ穴があいた岩山のある浄土真宗のお寺
東海道を平塚宿から大磯宿に向かって歩いて、花水川をわたったところにある善福寺。親鸞聖人の弟子が開いたと伝わるお寺です。このお寺の境内にある岩山の穴、なんだと思いますか?
平塚の地名由来 平たい塚の伝承と広重の浮世絵の関係
平塚宿には平塚の地名の由来と伝わる場所があります。あくまで伝承なのですが、古代から人が住んだ相模川の下流域が「平塚」と呼ばれるようになった経緯を調べました。
平塚宿の入口 江戸見附の石垣とは別にある宿場の入口
東海道平塚宿では江戸見附の石垣が復元してありますが、江戸時代の220年間は平塚宿の入口はここではありませんでした。平塚宿の入口だった場所を探します。
平塚宿の見附石垣 復元された石垣の江戸時代と同じところと違うところ
平塚宿では江戸時代に宿場の入口に設けられていた見附石垣が復元されています。それらの石垣の江戸時代と同じところ、違うところを見てみましょう。食べ歩きの情報もあります!









