アニメ映画のポスターとラストシーンの舞台となり、今や世界中からアニメの聖地として訪問者が絶えない階段があります。

ここは新宿区須賀町にある天王坂です。
江戸時代までは天王社と呼ばれていた、須賀神社の入口にある階段です。


この天王寺坂を下りた付近は谷間になっていて、谷底の町は江戸時代には鮫ヶ橋谷町と呼ばれていました。

谷ですから、天王坂の向かいも上り坂です。坂道の途中にある寺の名前から東福院坂と呼ばれています。

東福院も江戸時代からある古いお寺です。

この東福院に変わった名前の石地蔵があります。

その名はなんと「豆腐地蔵」。
このお地蔵さんについては、こんな伝説があります。
昔、阿漕な豆腐屋がこの近くで店を開いていました。 その豆腐屋には若い僧侶が、よく豆腐を買いに来ていました。 ところがこの僧侶が豆腐を買っていった日には、決まって売上金の中に葉っぱが混ざっているのです。 「これはキツネかタヌキが化かしに来ているに違いない」 こう考えた豆腐屋は、次に僧侶が豆腐を買いに来たときに、豆腐包丁でその手首を切り落としてしまいました。 すると僧侶の姿は消えてしまい、跡には点々と血痕が残っていました。 豆腐屋がその血痕をたどってみると、なんと東福院の石地蔵につづいていたのです。そして石地蔵の手首は、折れてなくなっていました。 これを見て豆腐屋は「これは俺の阿漕な生き方を、お地蔵様が諫めにきたにちがいない」と悟り、それからは心を入れ替えて良い豆腐屋になりましたとさ。 |

たしかに豆腐地蔵を見ると、左手の手首から先がありません。
なるほど、こういう事情があったのですね!
いやそんなことより・・・
どうすれば豆腐屋が阿漕になれるのか、
まったく想像がつかん!
ほかにも高利貸しとか阿漕な商売はあるはずなのに、どうして豆腐屋?
なんとも謎の多い伝承ですが、実は東京都内にもうひとつ、ほとんど同じ伝承の残るお寺があります。
それは文京区の喜運寺。
現在は秘仏になっていて見ることはできませんが、ここにも豆腐地蔵があります。
伝わる話もほぼ同じ。ちがうところは手首を切ったのではなく、豆腐屋が肩口に切りつけたところ僧侶が石片を残して消えてしまい、喜運寺の石地蔵の肩にできていた疵にこの石片がピタリと一致したという話になっている点くらいです。
なぜ豆腐屋なのか? なぜ同じ話が2箇所にあるのか?
なにかとわからない点の多い伝承です。
でも、そういうことを知ることが、町を歩く楽しみのひとつだと言えるでしょう。
豆腐地蔵の場所
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)