日本橋三越(三越日本橋本店)は、江戸時代初期に創業した越後屋呉服店がはじまりの老舗です。
「日本一の大店」とも呼ばれるお店です。江戸時代の浮世絵にも、三越(井桁の中に「三」の暖簾」が描かれたほどです。
現在の店舗は、昭和2年(1927)に竣工した7階建ての鉄筋コンクリート建築に、その後昭和10年にかけて増改築が加えられたものです。国の重要文化財に指定されています。
日本橋に立つと、まず目の前に見える三越の店舗、こちらは新館です。
まず目に飛び込んでくるのが、三越のロゴ。
ん???
イルカがいっぱい!
三越新館の入口付近を見てみると・・・
やっぱりイルカ!
これらのイルカは、元文化庁長官・元東京芸術大学学長で金属工芸家の宮田亮平氏の作品です。東京2020エンブレム委員会の委員長として、オリンピックのエンブレムを決めるにあたりよくテレビに出ていましたので、宮田氏をご覧になったことがある方は多いのではないでしょうか。
ほかにも東京駅構内の銀の鈴
神田明神の少彦名命も宮田氏の作品です。
宮田氏の作品の特徴は、やはりイルカ。街中でイルカの金属像を見付けたら、宮田氏のものと思ってまず間違いありません。
まあ、あまり難しいことを知らなくても、イルカがいればかわいいですし、楽しいですし、みなさんも街中でイルカを探してみませんか?
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
最新のブログ記事
- 戸塚宿・3つの道標 谷間の町である東海道戸塚宿にある道標のあれこれ戸塚宿にある3基の道標、これらを見ると当時の戸塚宿の交通の事情、道が集まる要衝だったことがわかります。でもそれ以外にもわかることがあるのです。
- 戸塚の競馬場 昭和前期に東海道戸塚宿にあった競馬場、跡形もなくなった今もその名残が戸塚宿には昭和の一時期に競馬場がありました。人気を博した競馬場でしたが戦争中に移転し工場となりました。現在も競馬場の名残があります。
- 戸塚宿で体を鍛えるのだ 戸塚宿の問屋場跡付近にあるトレーニングジム、そこで目にしたものは・・・?鉄道開通や再開発などによって大きく姿を変えた東海道戸塚宿。問屋場跡のすぐ近くにはトレーニングジムもできました。そのジムにはなかなか粋なはからいが。
- 鳥居の消えた町 東海道の名所であり町のシンボルでもあった草薙神社の鳥居、その撤去の跡地を訪れる東海道にあった草薙神社の一の鳥居が令和2年に撤去されました。参道入口の鳥居はなくなったものの、周辺をよく見渡してみると・・・
- メンチカツはでかい方がいい 東海道戸塚宿の新名物メンチカツ、その驚きの正体とは?!かつて東海道の不動坂付近で売られていたメンチカツ、それが現在は戸塚駅前のショッピングセンターで売られ、戸塚宿のあらたな名物となっています。
- 不動明王はどこへ行った? 東海道から分かれていた大山道と分かれ目にあった不動堂東海道の戸塚宿ちかくにある不動坂は、大山道との分かれ目にあった不動堂が名の由来です。道路の拡張などで、不動堂はここに移転しています。
- 護良親王の首 後醍醐天皇の皇子の首塚伝承がなぜか東海道沿いにある謎東海道の保土ケ谷宿と戸塚宿の間にある柏尾には、南北朝時代の武将・護良親王の首が埋葬された伝承があります。いったいなぜ?
- 新見家の人々 東海道の品濃一里塚の近くにある歴史に名を刻んだ一族の墓所品濃一里塚のすぐ近くに、江戸時代の旗本のお墓があります。品濃村の領主だった新見氏のものです。彼らは東海道以外のところにも名を刻んでいるのです。
- 品濃坂 標高差35メートル、保土ケ谷と戸塚の間にあった権太坂にも匹敵する難所の坂街道歩きは上ったら下るのが鉄則です。保土ケ谷宿から権太坂を上ったということは、戸塚宿に着く前にそれに匹敵するくらいの下り坂があるということです。
- 品濃一里塚 東海道の歩き旅で初めて遭遇するるほぼ原形をとどめた一里塚保土ケ谷宿から戸塚宿へといたる高台の上にある品濃一里塚は、江戸時代のころの姿を今に伝える一里塚。でも東海道からはなかなか見ることができません。