今回のテーマは「逃げ続ける男」です。
なんだかサスペンス色の強いテーマです。犯罪者が逃亡する話か???
それとも無実の罪を着せられた男の逃避行か???
ちがいます!
最後の将軍、徳川慶喜の話なのです。
あまり知られてはいませんが、彼はあるものから逃げ続けて後半生を過ごしているのです。
そのあるものとは・・・
なんと、鉄道!
明治元年3月(1867年・改元は9月ですが1月1日に遡って明治とされました)、戊辰戦争のさなかに徳川慶喜は朝廷への恭順を表明し、これに対して朝廷を擁する薩長勢力は徳川家の存続を認め、これによって慶喜は水戸へ、次いで静岡に謹慎することとなりました。
謹慎が赦されたのが明治2年(1868・9月)のこと。慶喜は謹慎していた静岡の宝台院を出て、かつて幕府の駿府代官の元屋敷を買い取り、ここを住居と定めました。
明治時代の地図を見ると、大きな池のある家が描かれています。ここが徳川慶喜の屋敷の跡地です。
現在この場所はホテルのガーデンスクエア静岡と結婚式場の浮月楼などになっています。当時の庭園が残っていて、ホテルと結婚式場の利用者でしたら自由に入ることができます。
慶喜はこの屋敷で余生を送ろうとしていたらしいのですが、彼にとっては想定外の事態が起こります。
明治22年(1889)に鉄道が開通し、静岡駅ができたのです。
慶喜は駅前の喧噪を嫌い、駿府城の反対側に引っ越しました。
ちなみに慶喜は鉄道自体は嫌いではありませんでした。自ら安倍川まで写真を撮りに行っていますし、弟の徳川昭武と一緒に鉄道に乗って猟にも行っています。
しばらく静岡に住んでいた徳川慶喜ですが、明治30年(1897)、61歳のときに東京に転居しました。住んだ場所は巣鴨です。
ところが明治36年(1903)、またしても自宅近くに鉄道が通り、巣鴨駅が開業したのです。
こうして鉄道から逃げるように、慶喜は三度転居をします。
引っ越した先は文京区の茗荷谷の神田上水沿い、当時の地名で第六天町でした。
こうしてようやく安息の地を得た慶喜でした。
慶喜はこの屋敷にて、76歳の生涯を終えます。
幕末の動乱を経験した波乱に満ちた人生でした。
ところがこれで終わりじゃありません。
なんと!
昭和29年(1954)にこの徳川慶喜の旧邸の敷地内に、地下鉄丸の内線が開通したのです。
鉄道から逃げ続けて安息の地を見つけたと思ったのに、死んだ後も結局鉄道から逃れることはできませんでした。
鉄道から逃げ続けた男、徳川慶喜の衝撃の人生でした。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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