東海道ブログ
松応寺 徳川家康の父と昭和レトロのお寺
東海道五十三次の岡崎宿は「二十七曲がり」と呼ばれる複雑な道です。この途中で右を見ると、その奥に見えるお寺があります。それが徳川家康の父の墓所がある松応寺です。
龍城神社 岡崎城公園の神社で見つけた岡崎藩の名残
岡崎城公園の天守閣の隣には龍城神社があります。その起源は戦国時代まで遡ると伝えられ、江戸時代も東照宮、映世神社として城中にありました。今も神社には岡崎藩の名残があるのです。
岩略寺城跡 土塁や空堀が残る戦国の山城の正しい訪れ方
東海道五十三次のうち、吉田宿と岡崎宿の間は細い谷間の道でつながっていました。戦国時代にはこの道は戦略上の要地となり、激しい争奪戦が行われたともいわれています。その要となった場所にある岩略寺城を訪れました。
箱根の名物石 石畳の道に江戸時代からあった石の現在
東海道五十三次の歩き旅のうち、箱根の道は山の中の石畳の道でした。そこで道端の大きな石には名前が付けられ、江戸時代には箱根の名所にもなっていたのです。それらの石は今はどうなっているでしょう?
箱根七曲がり 連続ヘアピンカーブはいつできた?
東海道五十三次の歩き旅で箱根にさしかかると、急坂に急カーブが連続している場所があります。箱根の七曲がりです。箱根の道の険しさの象徴のようなこの七曲がりですが、江戸時代からあったわけではないのです。
「べらぼう」ついに賢丸が養子へ 松平定信が住んだ田安・白河松平の屋敷とは?
田安徳川家から白河藩松平家の養子となった松平定信。彼が暮らした田安家と白河藩の上屋敷は、どこにあったのでしょう?
畑宿の一里塚 平成の発掘調査で復元された一里塚
東海道五十三次には、一定の距離ごとに一里塚が設置されました。箱根の東坂にある畑宿の町のはずれにも、一里塚があります。立派な一里塚ですが、実は復元されたものです。
箱根の石畳 東海道五十三次最大の難所の実情は?
東海道一といわれる難所である箱根は、江戸時代の石畳が残っていることで知られています。実際に歩いた感じでは、道の半分ほどは石畳です。でも本当は・・・
白河藩松平家 「べらぼう」で松平定信が嫌がった養子先とは?
大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎の活躍の一方で、幕府内の権力争いなどが描かれています。その中で松平定信が嫌々ながら養子に行きました。養子先の白河の松平家とはどういう家なのでしょう?